スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
高橋 由衣(たかはし ゆい、1988年12月5日‐)は、山形… 高橋 由衣(たかはし ゆい、1988年12月5日‐)は、山形県酒田市(旧平田町)出身の女子陸上競技(長距離走)選手。元資生堂所属。 小学生時代から各種陸上競技大会に出場。酒田市立飛鳥中学校入学時から本格的に陸上競技に取り組み、中学3年時には全日本中学校陸上競技選手権大会やジュニアオリンピックなどで上位の成績を収め、2004年全国都道府県対抗女子駅伝競走大会では第3区で同学年の小林祐梨子を抑え、区間賞および区間新記録を樹立した。なお、この記録は2013年に髙松望ムセンビが更新するまで9年間区間記録として保持された。その後、山形県立酒田東高等学校へ進学したものの、高校1年時秋以降はケガなどにより成績が振るわず、メインを400m走に転向。
渡部 有(わたなべ なお、1988年3月26日 - )は、日… 渡部 有(わたなべ なお、1988年3月26日 - )は、日本のフリーアナウンサー。元テレビユー山形(TUY)のアナウンサー。セント・フォース所属。元2009読売巨人軍チームヴィーナスメンバー。
中條 大希(なかじょう だいき、1987年3月20日 - )… 中條 大希(なかじょう だいき、1987年3月20日 - )は、日本の実業家。NEWGREEN代表取締役COO。米輸出促進に向けた「未来の米づくり」官民タスクフォースメンバー 山形県酒田市の出身。2005年、山形県立酒田東高等学校を卒業。2009年、中央大学法学部を卒業。4月、オアシスソリューションに入社。2011年、事業部長に就任。2015年、地元の酒田市にUターンし、ヤマガタデザイン株式会社に入社。2020年3月、ヤマガタデザイン専務取締役COO。2021年6月、井関農機と業務提携田んぼの自動抑草ロボットの実用化を加速。2022年9月1日、千葉県のクルックフィールズと有機農業の生産性向上で連携。
平尾 彰子(ひらお あきこ、1985年(昭和60年)。- )… 平尾 彰子(ひらお あきこ、1985年(昭和60年)。- )は、日本の学者、博士(理学)、元鶴岡工業高等専門学校物質工学科助教、専門は時間栄養学・時間運動学。
和嶋 未希(わじま みき、1972年5月30日 - )は、日… 和嶋 未希(わじま みき、1972年5月30日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、山形県議会議員(2期)を務めた。 山形県酒田市大宮生まれ。生家は農家。酒田市立亀城小学校、酒田市立第三中学校、山形県立酒田東高等学校、日本大学芸術学部放送学科卒業。酒田市立第三中学校在校時には生徒会長を務めた。1995年、地元・酒田市の企画制作会社に入社し、2002年まで勤務した。 2003年4月、山形県議会議員選挙の酒田市選挙区(現在の酒田市・飽海郡選挙区)から民主党公認で出馬し、初当選した。初当選時は山形県議会で唯一の女性議員であった。2007年の県議選で再選。二期連続のトップ当選を果たす。2009年、山形県議を辞職。
佐々木 亜希子(ささき あきこ、1972年2月23日 - )… 佐々木 亜希子(ささき あきこ、1972年2月23日 - )は、山形県酒田市出身の活動弁士。NHKの元契約キャスター。視覚障碍者向けの活動に熱心で、その10年来の活動を買われて、活動弁士としてアニメ映画『君の名は。』に視覚障碍者向けガイド(目に見えない人向けに写った映像を、音声で案内する目の代わりの仕事)を行ったことで知名度を上げた。 山形県立酒田東高等学校を経て埼玉大学教養学部を卒業後、NHK山形放送局に契約キャスターとして採用され、夕方のニュース番組などを担当。 3年の契約満了後フリーとなるが、亡き松田春翠の弟子であった女性活動弁士・澤登翠の門下生となる。2000年12月、東京キネマ倶楽部で活動弁士としてデビュー。
斉藤 淳(さいとう じゅん、1969年5月29日 - )は、… 斉藤 淳(さいとう じゅん、1969年5月29日 - )は、日本の教育者、政治学者。J PREP 斉藤塾代表。民主党衆議院議員(1期)。元イェール大学政治学科助教。イェール大学Ph.D。 山形県遊佐町生まれ。山形県立酒田東高等学校、上智大学外国語学部を経て、同大大学院で修士号を取得。 米国イェール大学大学院政治学研究科で、主に日本政治を研究していた、2001年秋、民主党本部が公募した国政選挙の候補者に応募し、加藤紘一が元事務所代表の脱税事件や自身の政治資金流用問題で辞職したことに伴い実施された2002年10月27日投開票の、第42回衆議院議員補欠選挙(山形県第4区)に「庄内から日本を変えたい」と、高速道路無料化や農業者戸別所得補償制度の導入を主張して立候補。
斉藤 淳(さいとう じゅん、1969年5月29日 - )は、… 斉藤 淳(さいとう じゅん、1969年5月29日 - )は、日本の教育者、政治学者、元衆議院議員。元イェール大学政治学科助教授。イェール大学Ph.D。
梅津 正彦(うめつ まさひこ、1968年12月13日 - 2… 梅津 正彦(うめつ まさひこ、1968年12月13日 - 2013年7月23日)は、日本のボクシング指導者、アクション監督。山形県酒田市出身。 山形県立酒田東高等学校卒業。大学中退。高校でボクシングを始め、ソウルオリンピックを目指したが、怪我のため引退。 映画監督を志し松竹シナリオ研究所入所。松竹大船撮影所等で映画・テレビドラマ、野村芳太郎監督の戦争ドキュメンタリー作品、七人のおたくなどの助監督を務めた。その後ボクサーの経験を生かし、ボクシングコーチ、アクションディレクターとなる。映画・テレビ・CM・舞台等でボクシングやアクション指導をしながら、プライベートレッスン専門で梅津ボクシング倶楽部を主宰し、ダイエット指導等も行っていた。
工藤 俊幸(くどう としゆき 1966年 - )は、山形県出… 工藤 俊幸(くどう としゆき 1966年 - )は、山形県出身の指揮者である。国立音楽大学客員教授。 1966年山形県酒田市に生まれる。山形県立酒田東高等学校、国立音楽大学音楽学部作曲学科卒業。桐朋学園大学音楽学部オーケストラ研究科指揮専攻修了。指揮を崎田俊治、黒岩英臣、飯守泰次郎に、作曲を増田宏三、島岡譲に師事。 1992年オーディションで選ばれ仙台フィル副指揮者に就任。外山雄三音楽監督のもと、1996年までその任を務める。その後1年間ベルリン・ドイツ・オペラで研修。帰国後は、全国各地のプロオ−ケストラを指揮する傍ら、合唱指揮者としてもNHK交響楽団定期演奏会(H.シュタイン指揮)や読売日本交響楽団定期演奏会(ゲルト・アルブレヒト指揮)で二期会合唱団の合唱指揮を務め、高い評価を得た。
アベ ユーイチ(1964年〈昭和39年〉2月6日 - )は日… アベ ユーイチ(1964年〈昭和39年〉2月6日 - )は日本の映画監督。山形県酒田市出身。 『ウルトラマンネクサス』(2004年)までは阿部雄一名義で活動していたが、ドラマ制作会社の5年D組に『プラチナエイジ』などを担当した同姓同名の演出家が在籍していたため、アベユーイチに改名した。 山形県立酒田東高等学校映画研究部に所属し、アマチュア映画を製作。1986年、静岡大学理学部物理学科卒業。1989年、日本映画学校(現:日本映画大学)演出科を第一期にて卒業。 1993年に助監督として『お引越し』に参加。1997年にVFXコーディネーターとして『ウルトラマンゼアス2 超人大戦・光と影』より特撮作品に参加する。
阿部 寿一(あべ じゅいち、1959年〈昭和34年〉8月17… 阿部 寿一(あべ じゅいち、1959年〈昭和34年〉8月17日 - )は、日本の政治家、建設官僚。衆議院議員(1期)、山形県酒田市長(4期)を歴任した。 山形県酒田市生まれ。山形県立酒田東高等学校、東京大学法学部を卒業し、建設省に入省。本省勤務の他、鳥取県や総理府への出向を経験し、1998年11月に大臣官房人事課長補佐で建設省を退官。 1999年4月、酒田市長選挙に無所属で出馬・初当選し、続く2003年4月の酒田市長選挙で再選される。2005年11月には新設合併した新制酒田市長選挙に出馬し、初代市長に就任。2009年11月の酒田市長選挙に出馬し2選(旧酒田市時代と併せて4期)。 2012年、自由民主党は第46回衆議院議員総選挙に向け、山形3区の現職加藤紘一を公認。
佐藤 時啓(さとう ときひろ、1957年(昭和32年)9月1… 佐藤 時啓(さとう ときひろ、1957年(昭和32年)9月13日 - )日本の美術家、写真家。東京藝術大学美術学部先端芸術表現科教授。土門拳記念館館長。山形県酒田市生まれ。 彫刻家を経て写真に転向し、〈光ー呼吸〉と題された長時間露光の写真作品及び〈Gleaning Light〉と題されたピンホール写真作品を制作する。また最近では写真装置の仕組みをもちいたプロジェクトなどで知られる。〈光ー呼吸シリーズ〉は大型カメラによって風景を長時間露光撮影する。露光中にペンライトや手鏡を用い、被写体となった風景の中で自らカメラに向けて発光させた光は、自身の移動した痕跡となる。しかし長い露光の結果画面上に自身の姿は写らない。
丸山 至(まるやま いたる、1954年(昭和29年)3月7日… 丸山 至(まるやま いたる、1954年(昭和29年)3月7日 - )は、日本の政治家。元酒田市長(2期)。 山形県酒田市に生まれる。 山形県立酒田東高等学校 - 山形大学人文学部を経て1977年、行政職員として酒田市に採用される。 キャリアを積みながら昇任した丸山は、商工港湾課、企画調整課、水道部管理課で課長に就任、その後は健康福祉部で地域医療調整監、財務部長、総務部長を歴任した。 また、庄内地域の自治体が共同で設立した「公設民営」の私立東北公益文科大学の創設にも関わりを持つ。 2012年12月、58歳だった丸山は酒田市を定年前に退職し、新たに特別職として副市長に任命される。 副市長として在任中、病気療養で職務を離れた前市長本間正巳の職務代理者として、市政の舵取り役を任された。
石川 牧子(いしかわ まきこ、1949年11月12日 - )… 石川 牧子(いしかわ まきこ、1949年11月12日 - )は、日本のアナウンサー(日本テレビ → フリー)、元仙台大学客員教授、拓殖大学客員教授、財団法人日本ゲートボール連合理事。 山形県鶴岡市生まれ。酒田市立第三中学校卒業。山形県立酒田東高等学校2年時に宮城県仙台市へ転居した。東京女子大学短期大学部英語科卒業。 アナウンス部在籍時は報道からスポーツ、バラエティまで幅広く出演し、日本テレビの女性アナウンサーの看板的な存在だった。「元祖どっきりカメラ」、「アメリカ横断ウルトラクイズ」といった看板番組の司会を長きにわたり担当した。 現場からデスク職についてからはキー局では初めての女性アナウンス部長としても話題となったが、前任の舛方勝宏から引き継がれた新人アナウンサーへの厳しい指導は度々日本テレビの特番でも放送された。
北 重人(きた しげと、1948年1月3日 - 2009年8… 北 重人(きた しげと、1948年1月3日 - 2009年8月26日)は、 山形県酒田市生まれの小説家。建築士造園家。本名、渡辺 重人(わたなべ しげひと)。 山形県立酒田東高等学校を経て、1971年、千葉大学工学部建築学科卒業。 一級建築士、技術士建設部門(都市及び地方計画)資格取得後、ランドスケープコンサルタントの株式会社LAU都市施設研究所(現:LAU公共施設研究所)設立。 造園コンサルタント、都市計画コンサルタント業務の傍ら小説を執筆し、短編『陽ざかりの棗(なつめ)』をオール讀物新人賞に応募。最終選考まで残るが、決選投票で山本一力著『蒼龍』に敗れる。 1999年、『超高層に懸かる月と、骨と』で第38回オール讀物推理小説新人賞を受賞。
佐藤 彰一(さとう しょういち、1945年7月28日 - )… 佐藤 彰一(さとう しょういち、1945年7月28日 - )は、日本の歴史学者。フランク王国史を中心とする西洋中世史の研究で世界的に著名。名古屋大学名誉教授、日本学士院会員、フランス学士院碑文・美文アカデミー外国人連携会員。 名古屋大学大学院教授、フランス社会科学高等研究院客員教授、コレージュ・ド・フランス招聘教授、パリ第1大学招聘教授、西洋中世学会会長などを歴任。日本学士院賞受賞。 山形県東田川郡余目町(現・庄内町)出身。1964年山形県立酒田東高等学校卒業、1968年中央大学法学部法律学科卒業。1973年早稲田大学大学院文学研究科西洋史専修修士課程修了、1976年同博士課程単位取得退学。1969年から1971年 カーン大学人文学部留学。
佐藤 輝(さとう てる:1945年〈昭和20年〉3月10日 … 佐藤 輝(さとう てる:1945年〈昭和20年〉3月10日 ‐ )は、日本の俳優、ミュージカル俳優、声優。本名は、佐藤 輝昭(さとう てるあき)。オフィス天童所属。 山形県余目町(現・庄内町)出身。余目町立余目小学校、余目中学校を経て山形県立酒田東高等学校卒業[要出典]。劇団俳優小劇場養成所2期生。歌って踊れる個性派俳優として演技力、歌唱力が高く評価されている。1976年より20年間、劇団動物園にて活動。 ミュージカル『ラ・マンチャの男』にサンチョ・パンサ役で1995年から出演、2008年の帝劇公演でサンチョ役484回の日本最多出演を記録した。『子午線の祀り』(伊勢三郎義盛役)、『チャングムの誓い』(養父カン・ドック役)、『おしん』(定次役)、大河ドラマ『元禄繚乱』の忠僕八助役など代表作多数。
佐高 信(さたか まこと、1945年〈昭和20年〉1月19日… 佐高 信(さたか まこと、1945年〈昭和20年〉1月19日 - )は、日本の評論家、東北公益文科大学客員教授。元「週刊金曜日」編集委員。山形県酒田市出身。 「ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク」共同代表。先住民族アイヌの権利回復を求める署名呼びかけ人を務める。 近年はYouTube番組であるデモクラシータイムスの『3ジジ放談』に平野貞夫、前川喜平と共に出演している。 2022年、全7巻の『佐高信 評伝選』(旬報社)が刊行されている。 父・兼太郎は茜舟(せんしゅう)の雅号を持つ書道家・教師で、支持政党は一貫して日本社会党(現・社会民主党)。山形県立酒田東高等学校、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。
三浦 光紀(みうら こうき、1944年(昭和19年)6月27… 三浦 光紀(みうら こうき、1944年(昭和19年)6月27日 - )は、日本の音楽プロデューサー、実業家。徳間ジャパンコミュニケーションズ専務取締役などを務めた。山形県酒田市出身。 山形県立酒田東高等学校を経て、早稲田大学を卒業。 佐高信は高校時代からの親友で、慶大に進んだ佐高は、庄内地方出身者が入る駒込の学生寮で生活するが、三浦はよく、この寮に遊びにいった。入学した早大では、グリークラブに加わり、1年下には渋谷系の牧村憲一、吉田拓郎などを担当した前田仁、3年下にはサザンオールスターズを発掘したビクター音楽産業の高垣健などがいた。 1968年(昭和43年)4月、キングレコードに入社。文芸部教養課に配属され、プロデューサー・長田暁二のアシスタントとしてスタートする。
小華和 ためお(こはなわ ためお、本名:小華和 為雄(読みは… 小華和 ためお(こはなわ ためお、本名:小華和 為雄(読みは左記と同じ)、1936年9月18日 - )は、山形県酒田市出身のアニメーター、アニメーション監督である。
新正 卓(あらまさ たく、1936年8月15日 - )日本の… 新正 卓(あらまさ たく、1936年8月15日 - )日本の写真家。
岸 洋子(きし ようこ、1935年〈昭和10年〉5月23日 … 岸 洋子(きし ようこ、1935年〈昭和10年〉5月23日 - 1992年〈平成4年〉12月11日)は、日本のシャンソン歌手、カンツォーネ歌手。所属レコード会社はキングレコード。本名は小山 洋子(こやま ようこ)。山形県酒田市出身。 姉に連れられて行った宝塚歌劇団の声楽教授を務めた加藤千恵(酒田市名誉市民)が開設したボーカルスタジオで音楽と出会う。俳優成田三樹夫は中学・高校の同級生。 東京藝術大学に進学し、在学中に二期会研究生となり、オペラ歌手を目指していたが、心臓神経症のため断念する。病床で聴いたエディット・ピアフのアルバムに感動して、1959年(昭和34年)、NHKのオーディションに合格。シャンソン歌手の道に進んだ。
成田 三樹夫(なりた みきお、1935年〈昭和10年〉1月3… 成田 三樹夫(なりた みきお、1935年〈昭和10年〉1月31日 - 1990年〈平成2年〉4月9日)は、日本の俳優。愛称はミッキー。山形県酒田市出身。 戦後日本映画史において、悪役の系列に確実に名を残した俳優であった。 父親は司法省の職員で、秋田、旭川、仙台の刑務所長を歴任した。実家は日用品を扱う雑貨店を営み、母親が切り盛りしていた。四男一女の三男として生まれ、兄弟たちは地元で評判のエリートとして知られた。 父親に手ほどきされた剣道は三段、スポーツは水泳、野球など何でもこなす万能選手だったが、野球の試合中に右眼に打球を受けて網膜剥離になり、失明寸前となって、以降も右眼はほとんど見えなかった。山形県立酒田東高等学校に進学後から演劇に興味を持ち始め、地元の演劇コンクールに参加し、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を脚色して優秀賞を受賞した。
森 万紀子(もり まきこ、1934年12月19日 - 199… 森 万紀子(もり まきこ、1934年12月19日 - 1992年11月17日)は、日本の小説家。本名・松浦栄子。 山形県酒田市にて、開業医の家庭に生まれる。山形県立酒田東高等学校での同級生に岸洋子がいた。 1953年に同校を卒業してからスーパーマーケットなどに勤務。神戸や東京で英語学校に通い、社外校正に従事しつつ書いた「単独者」で1965年に文學界新人賞佳作となり、同作で芥川賞候補となる。同年「距離」、1969年「密約」、1971年「黄色い娼婦」と4回候補になりながらも受賞は叶わなかったが、「内向の世代」における女性作家の代表と見なされる。1980年長篇『雪女』で泉鏡花文学賞受賞。 幻想的な作風で知られるが厭人癖が激しく、埼玉県三郷市のみさと団地に独居中、孤独死しているのを発見された。
土田 浩(つちだ ひろし、1931年12月10日 - 200… 土田 浩(つちだ ひろし、1931年12月10日 - 2009年8月28日)は、日本の政治家・酪農家。満洲出身。酪農学園短期大学通信課程卒。青森県六ヶ所村村長(1989年-1997年)。 山形県立酒田東高等学校卒業後、18歳で青森県上北郡六ヶ所村の「庄内地区」に入植。酪農業を手がけ、青森県酪農協会連合会会長や庄内酪農協同組合理事長も務めた。1975年から六ヶ所村村議会議員を連続4期務め、1989年に核燃料サイクル施設の工事凍結を公約に六ヶ所村長選挙に無所属で出馬し六ヶ所村長に初当選。以後連続2期8年を務めた。村長就任後は、使用済み核燃料再処理工場など核燃料サイクル事業推進へ方針転換し、ITER(国際熱核融合実験炉)の誘致にも関わった。
佐藤 彰(さとう あきら、1931年〈昭和6年〉4月29日 … 佐藤 彰(さとう あきら、1931年〈昭和6年〉4月29日 - 2002年〈平成14年〉5月3日)は、日本の教育者、文学者(国文学・近世文学)。学位は文学修士(北海道大学・1961年)。静岡県立大学名誉教授。 北海道札幌星園高等学校教諭、釧路工業高等専門学校助教授、静岡女子短期大学教授、静岡女子短期大学学生部部長、静岡県立大学短期大学部教授、大谷女子大学文学部教授、大谷女子大学大学院文学研究科研究科長、園田学園女子大学国際文化学部教授、園田学園女子大学近松研究所所長(第3代)などを歴任した。 国文学を専攻する文学研究者である。古浄瑠璃の研究や近松門左衛門が遺した作品の研究で知られる。農村舞台や人形芝居についての研究でも知られ、「近世文学の権威」と謳われた。
佐藤 久一(さとう きゅういち、1930年1月5日 - 19… 佐藤 久一(さとう きゅういち、1930年1月5日 - 1997年1月23日)は、日本の実業家。山形県酒田市生まれ。酒田商業に入学後、酒田中学校に編入学。日本大学芸術学部中退。 父、久吉は日本酒醸造元「金久(きんきゅう)酒造」を経営、市議会議長、商工会会頭などを歴任、テニスの振興に尽力するなど、名家の主として知られる。 久一は、大学中退後、20歳で映画館「グリーンハウス」支配人に就任。洋画専門館として名を馳せる。淀川長治や荻昌弘が羨んだという映画館だった。1964年には映画館の職を辞して、上京、日生劇場に勤務。同劇場の劇場課、のち食堂課に勤務。1967年8月、父、久吉の求めで酒田に戻り、以後、「レストラン欅」、「ル・ポットフー」の支配人として活躍。
風間 吉也(かざま きちや、1929年12月21日 - )は… 風間 吉也(かざま きちや、1929年12月21日 - )は、日本の医師、医学博士、開業医、風間病院院長、酒田風間氏分家・東美系の一族。
石井 米雄(いしい よねお、1929年10月10日 - 20… 石井 米雄(いしい よねお、1929年10月10日 - 2010年2月12日)は、日本の歴史学者。京都大学名誉教授、神田外語大学名誉教授。文化功労者。専門は東南アジア史、特にタイ王国研究。 1929年、東京生まれ。1945年3月、山形県飽海郡高瀬村(元遊佐町)に疎開。疎開先の酒田中学校で学びつつ、帝国石油の油田で勤労動員に応じた。戦後の1947年東京に戻り、旧制早稲田第一高等学院(1949年学制改革後、早稲田大学に移行)に入学するも、東京工業大学の言語学者小林英夫の言語学講義にのめり込み、その中でその後に学び続けることになるタイ語やラテン語など言語研究やタイ語学者松山納など研究者と出会うことになった。
中村 恒也(なかむら つねや、1923年(大正12年)3月8… 中村 恒也(なかむら つねや、1923年(大正12年)3月8日 - 2018年(平成30年)12月25日)は、日本の技術者、実業家。セイコーエプソン代表取締役社長を務めた。 山形県酒田市出身。山形県立酒田中学校(現・山形県立酒田東高等学校)を経て、1944年日本大学理工学部機械工学科卒業、第二精工舎(現・セイコーインスツル)入社。1945年に、別会社である株式会社第二精工舎諏訪工場(第二精工舎諏訪工場→諏訪精工舎→セイコーエプソン〈現〉)に転籍した。1956年機械式腕時計「マーベル」を独自に設計し商品化。1959年自動巻腕時計「ジャイロマーベル」を開発。 1963年に諏訪精工舎取締役に就き、1964年東京オリンピックで使用するクォーツ時計の開発プロジェクトリーダーを務めた。
柿崎 実(かきざき みのる、1922年(大正11年)8月3日… 柿崎 実(かきざき みのる、1922年(大正11年)8月3日 - 1945年(昭和20年)5月2日)は、日本の海軍軍人。海兵72期。大東亜戦争(第二次世界大戦)の末期、人間魚雷「回天」で出撃して戦死した。死後二階級特進し、最終階級は海軍少佐。 1922年(大正11年)8月3日に山形県酒田市で生まれる。旧制酒田中学校を経て海軍兵学校に入校する。性格は温厚・無口で、あまり感情を表に出さなかったとされる。1943年(昭和18年)9月15日に海軍兵学校(72期)を卒業後、同日中に空母「瑞鶴」へ乗り組んで実習を続けるが、1944年(昭和19年)8月に海軍潜水学校学生の発令を受け、そのまま人間魚雷「回天」搭乗員に転じた。
佐藤 昌祐(さとう しょうすけ、1920年3月4日 - 20… 佐藤 昌祐(さとう しょうすけ、1920年3月4日 - 2005年6月30日)は日本の洋画家。大正9年3月4日に山形県酒田市中之口町12番地(現-本町)に生まれる。旧制琢成第一小学校、山形県立酒田中学校、東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業。山形師範学校(現・山形大学地域教育文化学部)助教授となる。山形大学を退職後、東京へ移住。上京後は美術団体展や個展等で作品を発表。昭和34年に同志とともに洋画の公募美術団体「蒼騎会」を創立。1978年には第18回蒼騎会展が文部大臣賞を受賞。練馬区文化事業功労者表彰。
国井 重典(くにい しげのり、1913年〈大正2年〉3月12… 国井 重典(くにい しげのり、1913年〈大正2年〉3月12日 - 1953年〈昭和28年〉12月27日)は、日本の政治家、旧鶴岡市第7代市長。 1913年(大正2年)山形県飽海郡酒田町(現・酒田市)に鐙谷一郎の4男として生れ、 国井家の養子となる。1930年(昭和5年)山形県立酒田中学校(山形県立酒田東高等学校)を卒業する。 1936年(昭和11年)に早稲田大学法学部を卒業。卒業後は 鶴岡水力電気株式会社に入社する。 1946年(昭和21年) 加藤精三市長の下で鶴岡市助役に就任し、 鶴岡市消防長も務める。 1951年(昭和26年)4月、鶴岡市会議員に当選する。 1952年(昭和27年)10月に 鶴岡市長に当選する。
齋藤 磯雄(さいとう いそお、1912年5月26日 - 19… 齋藤 磯雄(さいとう いそお、1912年5月26日 - 1985年9月3日)は、日本の仏文学者。山形県庄内出身。 山形県東田川郡清川村(現:庄内町)生まれ。戸籍上は4月26日生まれ。実家は大庄屋格で、幼少時より漢籍と文語体聖書に親しんで育つ。 旧制酒田中学校在学中から仏文学を志す。辰野隆の教えを受けるつもりで、1929年、法政大学予科に入学。当時既に辰野は法政を退職していたために望みは果たせなかったが、戦後初対面した折にボードレール『悪の華』訳文を激賞された。法政で豊島与志雄や漢詩人阿藤伯海(あとう・はくみ)に師事。同級に安藤鶴夫と近藤光治がおり「三藤」と称して親しく交際した、在学時に次兄(筆名:西東徳之介)も加わり、文芸同人誌『秩序』(7号まで)を発行、プルースト短編やヴィリエ・ド・リラダンの翻訳を寄稿。
本間 重三(ほんま じゅうぞう、1909年(明治42年)10… 本間 重三(ほんま じゅうぞう、1909年(明治42年)10月5日 - 1964年(昭和39年)11月4日)は、昭和時代の政治家。山形県酒田市長。 酒田本間氏の一族、本間鐐吉の二男として生まれ、兄鉄之助の跡を継ぐ。山形県立酒田中学校を経て東京商科大学を卒業し、1933年(昭和8年)より酒田市役所にて勤務する。庶務課長、考査役、総務課長と歴任したのち、1946年(昭和21年)青塚恒治前市長が公職追放となると市長代行者に選任された。翌年の1947年(昭和22年)4月には公選初代酒田市長に就任。3期12年に渡り務め、1959年(昭和34年)に退任した。 市長在任中は、戦後復旧、酒田病院設立などに尽瘁した。
佐藤 真生(MAO)(さとう まさお、(まお)、1963年(… 佐藤 真生(MAO)(さとう まさお、(まお)、1963年(昭和38年) - )は、山形県酒田市生まれの画家。 山形県立酒田東高等学校を卒業後、東京学芸大学美術教育科、同大学院教育研究美術科修了。 1990年大学院修了の年に目黒区立美術館区民ギャラリーにおいて初個展を開催。同年多摩秀作美術展準大賞(青梅市立美術館)、1991上野の森美術館絵画大賞展佳作(上野の森美術館)、1993年安井賞展賞候補など数々の受賞歴がある。 1997年には本間美術館において個展。「佐藤真生展 ―譚海への招待―(本間美術館 1997年)」継承される「譚(はなし)」をテーマとし故郷から得た心象風景を再構築する独自の作風は、国内のみならず国外からの評価も高い。
山本 与志恵 は、日本の女優、声優。山形県出身。身長153c… 山本 与志恵 は、日本の女優、声優。山形県出身。身長153cm。体重53kg。