羽田 澄子(はねだ すみこ、1926年1月3日 - )は、日本の映画監督。「世田谷・九条の会」呼びかけ人を務めている。 旧満州大連市生まれ。1942年旅順高等女学校卒業。満州から引き揚げ、自由学園女子部高等科卒業後、1950年に恩師羽仁説子の紹介で、岩波書店と資本関係のない関連会社岩波映画製作所に入社し、岩波写真文庫を編集に携わる。 映画シナリオを任され、映画『歯』のシナリオを描いた際に、助監督も試験的に担当。羽仁進監督の下で助監督を務めた後、1957年に『村の婦人学級』(岩波映画)で監督デビューを果たす。 1977年『薄墨の桜』を初めて4年間かけ自主製作する。岩波ホールで他3本と上映の際、総支配人高野悦子がドキュメンタリー映画商業上映での史上初の入場料を取り、無料の慣例を変える。
出典:ウィキペディア「羽田澄子」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
