スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
小松 大祐(こまつ だいすけ、1984年9月27日 - )は… 小松 大祐(こまつ だいすけ、1984年9月27日 - )は、日本のラグビー選手。 ラグビーは高校から始めた。 2003年、佐沼高校卒業後、立正大学に入る。 2007年、立正大学卒業後、リコーブラックラムズに加入。同年10月27日に行われたジャパンラグビートップリーグ第1節の日本IBMビッグブルー戦に先発出場で公式戦初出場を果たす。 2012年、リコーブラックラムズの主将に就任。3シーズン務めた。 2020年、リコーブラックラムズを退団した。
佐竹 友樹(さたけ ゆうき、1982年7月27日 - )は、… 佐竹 友樹(さたけ ゆうき、1982年7月27日 - )は、宮城県登米市出身の競艇選手。登録番号4201。身長158cm。血液型B型。91期。埼玉支部所属。同期に山口剛、長嶋万記、三浦永理らがいる。
及川 浩治(おいかわ こうじ、1967年2月15日 - )は… 及川 浩治(おいかわ こうじ、1967年2月15日 - )は、日本のピアニスト。 宮城県登米郡迫町(現・登米市)出身。4歳よりピアノを始める。 1984年、ヴィオッティ・ヴァルセージア国際コンクール第1位受賞。1985年、国立音楽大学に入学。1986年、ブルガリア国立ソフィア音楽院に留学。留学中の1987年、アレクシス・ワイセンベルクの公開セミナーに参加し、ワイセンベルクの意向により設けられた最優秀特別賞を受賞。練習用のグランドピアノを授与される。 1990年、マルサラ国際コンクール第1位受賞。ショパン国際ピアノコンクールDistinctions選出。1991年、国立音楽大学に復学。1992年、日本国際音楽コンクールにおいて第2位受賞。
佐々木なつえ(ささきなつえ、本名:佐々木奈津江、 (1964… 佐々木なつえ(ささきなつえ、本名:佐々木奈津江、 (1964-05-18) 1964年5月18日(61歳))は日本の政治家。 立憲民主党(県議会会派:みやぎ県民の声)所属の宮城県議会議員(2期)。 宮城県登米市出身。迫町立佐沼小学校、迫町立佐沼中学校、宮城県佐沼高等学校卒業。 宮城県佐沼高等学校時代に陸上競技にて国体に出場経験がある。 母子家庭で育ち、本人が子どもの頃に母を訪ねて、ちいさな子どもを抱えた女性や知らない女性が家によく出入りしていたのを見て、子ども心に女性にとって生きにくい社会であると感じていた。また、秘書時代に子育て政策や女性の働き方、女性に関する政策などの会議に出席した際に意思決定の場に女性がいないことに違和感を持ち政治家を目指すようになる。
茶坊(ちゃぼう、1962年6月30日 - )は、日本の漫画家… 茶坊(ちゃぼう、1962年6月30日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター。宮城県出身。宮城県佐沼高等学校卒。主に成人向け漫画を描く。 1985年、ピンクハウス誌でデビュー後、エロ劇画誌を中心に活動。初期は女子高生ものを描いていたが、近年は人妻や熟女ものが基本スタイルとなっている。デビュー当時のペンネームは薬師丸ひろしであった。 作風はコメディーやギャグテイストのものが多い。
布施 孝尚(ふせ たかひさ、1961年〈昭和36年〉7月27… 布施 孝尚(ふせ たかひさ、1961年〈昭和36年〉7月27日 - )は、日本の政治家、歯科医師。元宮城県登米市長(3期)。 宮城県登米市出身。宮城県佐沼高等学校、日本大学歯学部卒業。 2005年(平成17年)4月1日、登米郡8町(迫町、登米町、南方町、東和町、中田町、豊里町、米山町、石越町)と本吉郡津山町が合併し、登米市が誕生する。それに伴って同年4月29日に執行された登米市長選挙に無所属で出馬し、初当選。 2009年(平成21年)4月、無投票により2期目の当選を果たす。 2013年(平成25年)4月21日執行の市長選に無所属(自民党、民主党、公明党推薦)で出馬。元市議会議員の遠藤音を破り、3期目の当選。
熊谷 達也(くまがい たつや、1958年4月25日 - )は… 熊谷 達也(くまがい たつや、1958年4月25日 - )は、日本の小説家。東京電機大学理工学部卒業。 宮城県仙台市出身。宮城県佐沼高等学校、東京電機大学理工学部数理学科卒。卒業後、埼玉県と宮城県気仙沼中学校で公立中学校の数学教諭を8年間勤める。その後、宮城県に帰り、保険代理店業を経て、1997年に『ウエンカムイの爪』で小説すばる新人賞を受賞し、作家としてデビューする。2011年の東日本大震災当時も2013年現在も仙台市在住。 『漂泊の牙』『まほろばの疾風』『荒蝦夷』『迎え火の山』など、東北地方や北海道の民俗・文化・風土に根ざした作品で知られる。2004年、『相剋の森』から始まり『氷結の森』で終わるマタギ3部作の第2作『邂逅の森』で、初の山本周五郎賞と直木賞のダブル受賞を果たす。
熊谷 金治(くまがい かねじ、1955年 - )は、宮城県登… 熊谷 金治(くまがい かねじ、1955年 - )は、宮城県登米郡中田町(現:登米市)出身、蔵王町在住のシンガーソングライター。宮城県佐沼高等学校卒業。パーソナリティ、イベントプロデューサー、脚本家、コピーライターとしても活動している。愛称は「金(きん)ちゃん」。 大和銀行日本橋支店勤務を経て、1979年より音楽活動に専念。1980年、国鉄キャンペーンソング『なぜ旅に出るの』でデビュー。当初は「くまがい金次」の名前で活動していた。自然や旅をテーマとした叙情的な歌詞が特徴で「蔵王に住む歌詩人」と形容される。自身も自然保護や農業に造詣が深く、これらの講師や野外活動のインストラクターなども務める。CMソングやサウンドロゴも手がけるほか民謡歌手の庄司恵子にも楽曲を提供している。
大友 克洋(おおとも かつひろ、1954年4月14日 - )… 大友 克洋(おおとも かつひろ、1954年4月14日 - )は、日本の漫画家・映画監督。宮城県登米郡迫町出身。血液型はA型。息子はイラストレーターの大友昇平(SHOHEI)。 ペンタッチに頼らない均一な線による緻密な描き込み、複雑なパースを持つ画面構成などそれまでの日本の漫画にはなかった作風で、80年代以降の漫画界に大きな影響を与えた。 1988年、自作を元に自ら制作したアニメーション映画『AKIRA』は日本国外でも高い評価を得て、「ジャパニメーション」と呼ばれる、日本国外における日本アニメムーブメントのさきがけとなった。 近年は主に映画監督として活動している。日本SF作家クラブ会員だったが、2023年2月時点では退会している。
佐々木 信行(ささき のぶゆき、1953年5月2日 - )は… 佐々木 信行(ささき のぶゆき、1953年5月2日 - )は、宮城県本吉郡津山町(現:登米市)出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ・監督、解説者。 佐沼高校から一般企業への就職が内定していたが、一転して1971年のドラフト10位でロッテオリオンズに入団。弘田澄男・成重春生・倉持明と同期で、1979年にはシーズン序盤の6試合に先発マスクを被るが、当時の主力捕手である高橋博士・土肥健二の壁は破れなかった。1980年以降は一軍出場もなくなり、1982年限りで現役を引退。 引退後もオリオンズ(川崎)→マリーンズ(千葉)とロッテ一筋で、現役時代から並行して行ってきたブルペン捕手や二軍コーチ補佐(1987年 - 1990年)、二軍コーチ(1991年)、一軍ブルペンコーチ(1992年, 1999年 - 2000年)、二軍バッテリー兼育成コーチ(1993年、二軍バッテリー育成担当コーチ(1994年)、一軍バッテリーコーチ補佐(1996年)、二軍総合コーチ(2001年)、一軍バッテリーコーチ(1998年途中, 2002年)、二軍監督(2003年)を歴任。
阿部 俊則(あべ としのり、1951年10月27日 - )は… 阿部 俊則(あべ としのり、1951年10月27日 - )は、日本の実業家。積水ハウス代表取締役社長、代表取締役会長を経て、同社特別顧問。 宮城県登米郡東和町(現登米市)出身。宮城県佐沼高等学校、東北学院大学文学部史学科卒業後、1975年積水ハウス入社。2004年執行役員東北営業本部長。2005年常務執行役員東京営業本部長。2006年取締役常務執行役員首都圏本部長兼東京営業本部長。2007年取締役専務執行役員経営企画部長。 2008年積水ハウス代表取締役社長兼COOに昇格。2018年地面師による詐欺で巨額の損失を被った責任として、取締役会で解任しようと動議を出した和田勇代表取締役会長に対し、逆に解任動議により辞任に追い込み、後任の代表取締役会長に就任。
熊谷 盛廣(くまがい もりひろ、1951年〈昭和26年〉3月… 熊谷 盛廣(くまがい もりひろ、1951年〈昭和26年〉3月3日 - )は、日本の政治家。元宮城県登米市長(2期)、元宮城県議会議員(1期)、元津山町長(1期)。名前の表記に関しては熊谷 盛広と書かれることも多い。 宮城県登米市出身。宮城県佐沼高等学校、慶應義塾大学法学部(通信課程)卒業。 2002年(平成14年)、津山町長に就任。2005年(平成17年)4月1日に津山町が他の登米郡8町と合併し消滅するまで町長を務めた。 2007年(平成19年)4月に行われた宮城県議選・登米選挙区(定数3)に無所属で立候補し3位で初当選。当選後に自民党入り。 東日本大震災のため2011年(平成23年)11月13日に延期された県議選、2015年(平成27年)10月25日に行われた県議選は、いずれも自民党公認で立候補するも次点(3位)で落選した。
佐藤 史生(さとう しお、1950年12月6日 - 2010… 佐藤 史生(さとう しお、1950年12月6日 - 2010年4月4日)は、日本の漫画家。女性。本名は佐藤ちよ子。24年組あるいはポスト24年組 のひとり。理知的な作風が特徴で、寡作でありながら根強い人気を誇る。代表作に『夢みる惑星』『ワン・ゼロ』など。 魔術や神話を先端科学と巧みにミックスする独自の作品世界を持つ。長編『夢みる惑星』は、はるかな昔に火星から移住してきた人々が築いた超古代文明の終焉の物語である。もうひとつの長編作品『ワン・ゼロ』では、意志を持ちネットワークに侵入する電子頭脳と魔神たち(大乗仏教の神々とインド古代神および古神道の神々との戦い)を描く。「ネペンティス」「心臓のない巨人」など、巨大な交易船で宇宙を旅しながら何世代も生き続ける隔離された人々が登場する「複合船」のシリーズは、文化人類学あるいは民俗学的なコード(ハレとケ、ケガレ、マレビトなど)を埋め込んだサイエンス・フィクション (SF) といえる。
長野 哲(ながの さとし、1949年7月5日 - )は、宮城… 長野 哲(ながの さとし、1949年7月5日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 佐沼高校では1966年、2年生の時に夏の甲子園県予選3回戦で、宮城水産高を相手に2四球、1失策のノーヒットノーランを達成し勝利。県予選を勝ち抜き東北大会準決勝に進むが、福島商に0-1で敗退し、甲子園出場を逸する。翌年夏は県予選で敗れた。 1967年ドラフト会議でサンケイアトムズから8位指名を受けるが拒否し、熊谷組へ入社。藤津靖雄、大櫃照彦など好投手が多く、なかなか大舞台は踏めなかったが、1968年の明治維新百年記念明治神宮野球大会では、全東京選抜の抑えとして登板、全神奈川選抜に快勝した。 1968年ドラフト会議で大洋ホエールズから5位指名を受け入団。
サトル・サトウ(佐藤 達〈さとう さとる〉、1945年11月… サトル・サトウ(佐藤 達〈さとう さとる〉、1945年11月14日 - )は、フランスを拠点に活動する画家、造形作家。宮城県登米市出身。宮城県佐沼高等学校卒。フランス・パリ在住。 1969年、パリでデビュー。1979年、「鉛直主義」を世界に向けて宣言し国際的抽象画家となったサトルは、幾何学構成的絵画から立体作品、環境造形作家として、パリを拠点に多くの制作、発表を各国で行っている。 これまで、個展70回、グループ展380回、環境造型作品制作設置は40点を数え、30か国で発表している。
山内 ジョージ(やまうち ジョージ、1940年11月24日 … 山内 ジョージ(やまうち ジョージ、1940年11月24日 - 2025年2月27日)は、日本の漫画家、文字絵作家。日本児童出版美術家連盟会員、東アジア文化支援プロジェクト事務局長。山内 譲二名義による作品もある。本名は山内 紀之(やまうち のりゆき)。 日本の租借地であった関東州(現在の中華人民共和国遼寧省)大連市で、関東局勤務の警察官の家庭に生まれる。1945年、日本の第二次世界大戦敗戦に伴い収容所生活を送った後、1947年に日本へ引き揚げ、父の郷里の宮城県登米市で育つ。小学校5年生の時、手塚治虫と文通。中学校2年生の時、小野寺章太郎(石ノ森章太郎)と知り合う。宮城県佐沼高等学校卒業。 上京後、1960年9月から1962年3月までトキワ荘に住み、石森章太郎や赤塚不二夫のアシスタントを経て独立。
石ノ森 章太郎(いしのもり しょうたろう、英: Shotar… 石ノ森 章太郎(いしのもり しょうたろう、英: Shotaro Ishinomori、1938年〈昭和13年〉1月25日 - 1998年〈平成10年〉1月28日)は、日本の漫画家。本名は小野寺 章太郎(おのでら しょうたろう)。1984年までは「石森 章太郎」の表記を使用していたが、この時期には「いしもり しょうたろう」と呼ばれるのが通例だった。 SF漫画、ギャグ漫画から学習漫画まで幅広いジャンルの作品を量産し、“漫画の神様”手塚治虫との対比で「漫画の王様」、「漫画の帝王」 と評された。 代表作は『サイボーグ009』『佐武と市捕物控』『009ノ1』『さるとびエッちゃん』『人造人間キカイダー』『マンガ日本経済入門』『HOTEL』など。
片倉 邦雄(かたくら くにお、1933年〈昭和8年〉10月2… 片倉 邦雄(かたくら くにお、1933年〈昭和8年〉10月22日 - )は、日本の外交官。湾岸戦争時にイラク駐箚特命全権大使を務めた。 1933年(昭和8年)10月22日、東京に生まれる。本籍地は宮城県。片倉家は伊達政宗の乳母喜多の名跡を継いだ田村宗顕の後裔に当たる。夫人は民族学者の片倉もとこ。 旧制宮城県佐沼中学校(現在の宮城県佐沼高等学校)、東京都立戸山高等学校を経て、1953年(昭和28年)4月、東京大学教養学部理科Ⅱ類に入学する。1954年(昭和29年)4月、東大教養学部文科Ⅰ類に入学する。1957年(昭和32年)から1958年(昭和33年)までダートマス大学に留学した。1959年(昭和34年)東大法学部公法科に戻り、在学中の同年9月、外務公務員採用上級試験に合格する。
丸森 仲吾(まるもり ちゅうご、1932年〈昭和7年〉12月… 丸森 仲吾(まるもり ちゅうご、1932年〈昭和7年〉12月23日 - 2021年(令和3年)10月25日)は、日本の銀行家。七十七銀行頭取、仙台商工会議所会頭などを歴任した。 出生地は現在の登米市だが、実家は、姓の由来でもある宮城県丸森町の山林地主にあたる。 宮城県佐沼高等学校、東北大学時代は野球部で捕手として活躍。同大野球部でバッテリーを組んだ先輩が七十七銀行に入行しており、その紹介もあって就職を決める。 労働組合書記長や委員長を歴任したほか、人事部長に就任するまで14年間にわたり人事部に在籍。それ以降は、ほとんど営業一筋にキャリアを積んだ。 2001年(平成13年)頭取に昇格し、不良債権処理を進め、強固な経営基盤の確立や人材育成に力を入れた。
佐々木 徳夫(ささき とくお、1929年(昭和4年)3月19… 佐々木 徳夫(ささき とくお、1929年(昭和4年)3月19日 - 2010年(平成22年)1月25日)は、日本の民俗学者、昔話採集家。 宮城県中田町(現登米市)出身。旧制宮城県佐沼高等学校、東洋大学文学部哲学科卒業。 社会科担当の高校教師を務めていた1957年より昔話をカセットテープに録音し収集する活動を開始した。集めた昔話は東北地方を中心に1万話を超え、著書は高校教師時代の1966年(昭和41年)11月の自費出版による『酒の三太郎』が最初で、50冊を超える。1992年、昔話の保護に取り組んだ業績が認められ、吉川英治文化賞を受賞した。 2010年1月25日、肺炎により宮城県塩竈市の病院で亡くなった。
天野 良英(あまの よしふさ、1910年〈明治43年〉2月1… 天野 良英(あまの よしふさ、1910年〈明治43年〉2月12日 - 2001年〈平成13年〉3月3日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。最終階級は陸軍中佐、陸上幕僚長たる陸将。 陸士43期、陸大52期。第6代陸上幕僚長、第3代統合幕僚会議議長。息子は第26代西部方面総監の天野良晴。 宮城県登米郡宝江村大字田沼新井田(現・登米市中田町宝江新井田)出身。旧制宮城県立佐沼中学校から1927年(昭和2年)4月に陸軍予科士官学校に入校。1931年(昭和6年)7月、陸軍士官学校卒業(第43期)。同期には次の陸幕長の吉江誠一をはじめ広瀬栄一、藤原岩市など。1931年(昭和6年)11月、歩兵第17連隊で満州事変に従軍。
佐々木 真奈美(ささき まなみ、8月22日 - )は、宮城県… 佐々木 真奈美(ささき まなみ、8月22日 - )は、宮城県本吉郡津山町(現:登米市)出身のローカルタレント、ラジオパーソナリティ、薬剤師。 宮城県佐沼高等学校を経て東北薬科大学(現:東北医科薬科大学)薬学部衛生薬学科卒業。過去に『佐々木 眞奈美』名義で活動していた。 とあるビルのDJスペースでDJをしていたところ、テレビ局のディレクターの目に留まって、ラジオパーソナリティ、タレントへとなった。初仕事はあるテレビ番組でのレポーターだったが、緊張のあまり寝坊して約2時間も遅刻してしまったという。タレントデビューした当時は、『オレンジジュース』というロックバンドのボーカリストもやっていた。またこの当時は一部で荻野目洋子似という評判もあった。
伊藤 正美 は、日本の紙芝居作者、漫画原作者。