千 敬史(せん たかふみ、1990年〈平成2年〉7月6日 -… 千 敬史(せん たかふみ、1990年〈平成2年〉7月6日 - )は、日本の茶人、若宗匠。茶道裏千家次期家元。若宗匠としては、千 宗史(せん そうし)を名乗る。 京都府京都市に生まれる。2009年(平成21年)に立命館高等学校を、2013年(平成25年)に立命館大学法学部を卒業後、2015年(平成24年)から今日庵理事、2018年(平成30年)から茶道裏千家淡交会副理事長に就任する。また、父で第16代家元・千宗室の名代として、社寺の献茶式なども務めている。 2019年(令和元年)12月2日、若宗匠の格式を継承することが明らかになった。2020年(令和2年)10月8日、宗家利休御祖堂にて古式にのっとった『若宗匠格式宣誓式』が執り行われ、九條家36代当主で裏千家顧問・九條道成より斎号「丹心斎」、父で第16代家元・千宗室より茶名「宗史」を授与された。
伊住 禮次朗(いずみ れいじろう、1989年〈平成元年〉1月… 伊住 禮次朗(いずみ れいじろう、1989年〈平成元年〉1月19日 - )は、日本の茶人、日本文化研究者(博士(学術))。茶道総合資料館副館長。今日庵文庫長。茶名は、伊住宗禮。 1989年(平成元年)、茶道裏千家の分家である伊住家の伊住政和・弘美夫妻の次男として、京都府京都市に生まれる。2003年(平成15年)2月に父・政和を亡くしてからは、兄・公一朗と共に祖父・千玄室と伯父・千宗室(裏千家第16代家元)の元で茶道に精進した。 京都造形芸術大学博士後期課程にて中村利則に師事し、2018年(平成30年)3月に博士(学術)を取得。 さかい利晶の杜開館学芸員を経て、茶道総合資料館副館長、今日庵文庫長に就任。
伊住 公一朗(いずみ こういちろう、1986年〈昭和61年〉… 伊住 公一朗(いずみ こういちろう、1986年〈昭和61年〉10月20日 - )は、日本の実業家、茶人、淡交社代表取締役社長、ミリエーム副社長。茶名は伊住宗陽。 1986年(昭和61年)10月20日、茶道裏千家の分家である伊住家の伊住政和・弘美夫妻の長男として、京都府京都市に生まれる。16歳の時に父・政和を亡くしてからは、祖父・千玄室と伯父・千宗室の元で茶道に精進した。東海大学付属大阪仰星高等学校・中等部を経て、2009年(平成21年)に立命館大学文学部を卒業後、茶製品および清涼飲料水メーカーの伊藤園に入社。2011年(平成23年)には、父・政和が創設した会社であるミリエームに入社し、2017年(平成29年)からは同社の副社長を務めている。
緑川雄太郎(みどりかわ ゆうたろう、1983年 - )は日本… 緑川雄太郎(みどりかわ ゆうたろう、1983年 - )は日本のアートディレクター、茶人。トランスヒューマニズム、ポストアントロポセン、クォンタムコンシャスネスをベースに、人類以降のアート「ART AFTER HUMAN」に関するプロジェクトを企画。近年は香水、お茶、ガラスの中に「浮き」を見出し、香水の展覧会『AP』(2023-)、お茶の展覧会『浮茶:利休とバーのむこう』(2025)などのキュレーションを行う。 福島県いわき市生まれ。福島県立磐城高等学校卒業。早稲田大学第二文学部表現芸術系専修中退。 プロジェクトスペースpartyディレクター(2008-09)、アートグループ0000メンバー(2010-11)を経て、現在アートグループYAPディレクター(2012-)、ミュージアム・オブ・コンテンポラリー・アート・フクシマMOCAFディレクター(2021-)、マインドフローティングお茶体験UKICHAディレクター(2024-)。
千 宗屋(せん そうおく、1975年(昭和50年)12月10… 千 宗屋(せん そうおく、1975年(昭和50年)12月10日 - )は、日本の茶人。武者小路千家第15代家元後嗣。本名は、千 方可(せん まさよし)。京都府京都市生まれ。 父は第14代千宗守。1996年(平成8年)慶應義塾大学環境情報学部卒業、同大学大学院文学研究科前期博士課程修了(中世日本絵画史)。2003年(平成15年)に武者小路千家第15代次期家元として後嗣号「宗屋」を襲名。現代アートの芸術家や建築家など他分野とのコラボレーションに精力的に取り組む一方、2008年(平成20年)には文化庁文化交流使としてアメリカ・ニューヨークを拠点に世界各国で活動した。2013年(平成25年)京都府文化賞奨励賞、2015年(平成27年)京都市芸術新人賞受賞。
ルー 大柴(、1954年〈昭和29年〉1月14日 - )は、… ルー 大柴(、1954年〈昭和29年〉1月14日 - )は、日本のお笑いタレント、俳優、声優、茶人。本名:大柴 亨(おおしば とおる)。茶人名としては大柴 宗徹。山野美容芸術短期大学客員教授。遠州流茶道師範。浅井企画(2008年1月末まで)→株式会社Carino所属。 東京都新宿区市谷冨久町(現・富久町)出身。立教高等学校卒業。現在は神奈川県川崎市宮前区在住。 第二次世界大戦後にシベリア抑留から引き揚げてきた父と日本で知り合った母との間に、東京で生まれた。父親は旧満州のハルビンで生まれ育ち、ロシア語・中国語・英語に堪能で、幼少の大柴にハグやキスをするような国際的な人物だった。また、大柴の父方の祖父はロシアのウラジオストクで宝石商を営み、ロシア革命後に満州に移り、日本軍に飛行機を一機寄付してしまうほど富裕だった。
千 宗守(せん そうしゅ、1945年(昭和20年)7月21日… 千 宗守(せん そうしゅ、1945年(昭和20年)7月21日 - )は、日本の茶人。武者小路千家第14代家元。公益財団法人官休庵理事長。京都府京都市生まれ。 洛星中学校・高等学校を経て、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。同大学院文学研究科美学美術史専攻修士課程修了。 1989年(平成元年)12月、武者小路千家第14代家元を継承し「宗守」を襲名。1997年(平成9年)、第15回京都府文化賞功労賞を受賞。 東京芸術大学、大阪音楽大学、大手前大学、帝塚山学院大学客員教授を歴任。
松浦 章(まつら あきら、1941年2月4日 - )は、日本… 松浦 章(まつら あきら、1941年2月4日 - )は、日本の茶人。茶道鎮信流宗家、号は宏月。旧平戸藩主松浦家第41代当主、松浦史料博物館理事長。 1941年2月4日生まれ。旧平戸藩主松浦家の41代目。 1964年、立教大学文学部英米文学科卒業。1967年、カリフォルニア州立大学新聞学科卒業。 1967年に日本放送協会へ入局し、同局に22年間勤務する。 1981年、松浦史料博物館理事に就任。1994年、同資料館理事長に就任。 2024年11月9日には、鄭成功が長崎県・平戸で生誕してから400年を記念する献茶式が台湾南部の台南市で開かれ、平戸藩主・松浦家の第41代当主で茶道鎮信流宗家である松浦が献茶を行った。
小島 厚生(こじま こうせい、1939年1月12日 - )は… 小島 厚生(こじま こうせい、1939年1月12日 - )は、日本の俳人、茶人。 東京府生まれ。1961年、東京大学文学部宗教学宗教史学科卒。博報堂などでコピーライターとして活躍後、(株)レマンに入社。コピーライター時代の代表作は1970年の森永製菓、エールチョコレートの『大きいことはいいことだ』。 1977年、同好の士と俳句同人「九九の会」を結成(現:未名句会)し、世話役として今日に至る。俳号は麦人(ばくと)。著書に『俳諧無辺』『俳句のことばたち』『花あびて』などがある。 また茶人として遠州流茶道を嗜み、茶道遠州会東京支部副部長を務める。茶名は有節庵宗生。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
戸田 勝久(とだ かつひさ、1932年12月15日 - 20… 戸田 勝久(とだ かつひさ、1932年12月15日 - 2023年5月9日)は、日本の茶人、茶道研究家、創造学園大学名誉教授。茶名・宗安、裏千家今日庵業躰。 東京日本橋茅場町に即日庵戸田宗寛の長男として生まれる。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院文学研究科修士課程修了。創造学園大学教授、名誉教授。2008年『武野紹鷗研究』『武野紹鴎研究 茶と文芸』で東京大学学術博士。元茶の湯文化学会前副会長。第5回茶道文化学術賞受賞。 死後、一般社団法人茶道裏千家淡交会から特別功労賞を追贈された。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
千 登三子(せん とみこ、1930年〈昭和5年〉7月27日 … 千 登三子(せん とみこ、1930年〈昭和5年〉7月27日 - 1999年〈平成11年〉3月9日)は、日本の茶人。茶道裏千家家元の15代千宗室夫人。位階は正五位。勲三等瑞宝章。 東京都に塚本商店会長塚本定治郎(4代塚本定右衛門)の三女として生まれる。旧姓は塚本。塚本家は江戸時代から続く近江の豪商の家系で、明治以降は東京で繊維の総合商社塚本商店を営んでいた名家である。 雙葉高等女学校、アテネ・フランセを卒業後、登三子は千玄室と見合いをした。千玄室から結婚を申し込まれた際、彼女はフランス文学が好きで、パリに留学したいとフランス語を勉強中であったため、2日後に、「フランス語の勉強を続けさせてほしい」という条件付きで申込みを承諾した。
千 玄室(せん げんしつ、1923年〈大正12年〉4月19日… 千 玄室(せん げんしつ、1923年〈大正12年〉4月19日 - 2025年〈令和7年〉8月14日)は、茶人。茶道裏千家15代家元汎叟宗室。斎号は鵬雲斎、若宗匠時代は宗興。家元譲座後は大宗匠を務めた。位階は従三位。 「玄室」の名は、裏千家4代目の仙叟宗室が宗室を襲名する以前の名で、12代直叟宗室が隠居した際にも「玄室」を名乗っていた。最初の「宗室」への改名前の本名は千 政興。 青年時代には大日本帝国海軍に特攻隊員として入隊した経験を持ち、メディアなどを通し、戦争体験者の1人として実体験を語り継いでいた。終戦直前には松山海軍航空基地で航空隊分隊士教官として甲飛第15期の訓練にあたった。後に特秘命令として南方戦線に居る高官を陸軍の大型輸送機を使用して連れて帰るように命ぜられた。
杉浦澄子(すぎうら すみこ、1921年3月15日- )は、裏… 杉浦澄子(すぎうら すみこ、1921年3月15日- )は、裏千家流の茶人、陶芸研究家。 浅井竹五郎の次女として名古屋に生まれる。別名・澄心庵、杉浦宗美。愛知県立第一高等女学校卒。1941年東京女子大学英文科中退。東京大学印度哲学研究室にて中村元の指導をうける。裏千家茶道教授。
堀内 宗心(ほりのうち そうしん、1919年1月20日 - … 堀内 宗心(ほりのうち そうしん、1919年1月20日 - 2015年5月27日)は、表千家の茶人。 京都府京都市出身。堀内家・10代堀内宗完・不仙斎の三男、本名吉彦。1944年京都帝国大学理学部卒業、同副手。1946年2月長兄・幽峯斎宗完死去により長生庵を継ぎ、同年4月 表千家不審菴入門、内弟子として表千家第13代家元・即中斎千宗左に師事。同年12月建仁寺竹田益州より兼中斎の斎号を受ける。1953年12代堀内宗完を襲名。1997年甥の堀内國彦が宗完を継ぎ、宗心を名のる。1999年表千家家元より皆伝を受ける。2015年5月27日、前立腺癌のため死去。
崔 凡述(チェ・ボムスル、朝鮮語: 최범술、1904年5月2… 崔 凡述(チェ・ボムスル、朝鮮語: 최범술、1904年5月26日 - 1979年7月10日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の独立運動家、仏教の僧侶、教育者、政治家、茶人。制憲韓国国会議員。 俗名は英煥。堂号は錦峯、法号は暁堂(ヒョダン、효당/曉堂)。 慶尚南道昆陽郡両浦面(後の泗川郡西浦面)出身。昆陽普通学校卒業後、1916年に地元の多率寺(朝鮮語版)で出家した。1917年に海印寺の地方学林に入学した。三・一運動の時は独立宣言文を配布したため、日本の警察に逮捕された。1922年に渡日し大正大学予科を経て、1933年に同大仏教学科卒。特に1923年以降は朴烈、朴興坤、陸洪均、韓龍雲、金法麟らと「不逞鮮人社」「黒友会」「卍党」などの運動に参加して、いわゆる「朴烈事件」の大逆事件で上海への爆弾運搬役として検挙され、8か月間投獄された。
北村 謹次郎(きたむら きんじろう、1904年(明治37年)… 北村 謹次郎(きたむら きんじろう、1904年(明治37年) - 1991年(平成3年))は、日本の実業家・茶人。北村林業取締役、北村文華財団理事長。 奈良県吉野郡上市町(現・吉野町)出身。林業を営む北村又左衛門の二男。衆議院議員の北村又左衛門は実兄。1928年、京都帝国大学経済学部を卒業した。 文化人として40歳の時に建設が終了した四君子苑で多くの文化人や茶人をもてなした。 謹次郎が収集した茶道具・古美術品を保存するため、1975年に財団法人北村文華財団が設立、1977年に北村美術館が開館した。1991年に死去。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
千 嘉代子(せん かよこ、1897年〈明治30年〉10月6日… 千 嘉代子(せん かよこ、1897年〈明治30年〉10月6日 - 1980年〈昭和55年〉9月7日)は、日本の茶人。茶道裏千家家元の14代千宗室の妻。 宮城県仙台市に生まれる。旧姓は伊藤。実家は造り酒屋と仙台平の織元を営む素封家。 1915年(大正4年)東華高等女学校(現在の宮城県仙台二華中学校・高等学校)卒。 実家が東北の有力な裏千家流支援者であったことがきっかけで、1917年(大正6年)、今日庵裏千家十四代家元千宗室(淡々斎宗室)と結婚。家元夫人として、茶道の普及発展とともに、国際茶道文化協会理事長などを務め、茶の湯の国際普及にも尽くした。また、文化活動にも尽力した。 今日庵理事、茶道裏千家淡交会名誉理事長、国際茶道文化協会理事長を歴任。
14代千 宗室(せん そうしつ、1893年〈明治26年〉7月… 14代千 宗室(せん そうしつ、1893年〈明治26年〉7月24日 - 1964年〈昭和39年〉9月7日)は、日本の茶人。茶道裏千家14代家元。 東京都出身。13代千宗室の長男。弟に井口海仙。同志社普通部卒。号は碩叟、淡々斎。 1940年(昭和15年)、全国組織の淡交会を設立、裏千家発展の基礎を築く。また国際茶道文化協会を設立、茶道の海外普及にも努めた。 妻は、伊藤かよ。子に長女の塩月弥栄子(宗芯)、次女の櫻井良子(宗養、子爵・桜井忠胤長男・忠養の妻)、長男の千玄室(15代千宗室)、次男の納屋嘉治(淡交社社長)、三男・大谷巳津彦(デザイナー)。巳津彦の妻は戦後最大級のフィクサーと呼ばれた大谷貴義の娘大谷享子。
岸田 蓁(きしだ しげる、1892年2月1日 - 1964年… 岸田 蓁(きしだ しげる、1892年2月1日 - 1964年10月12日)は、日本の茶人、画家。岸田劉生の妻として知られる。 旧姓は小林。1892年に学習院の漢学教授であった小林良四郎、シンの三女として生まれる。東京府立第二高等女学校(現・東京都立竹早高等学校)に在学中から鏑木清方について日本画を学んでいる。1913年に第2回フュウザン会展を見に行ったことが縁で同年7月に洋画家岸田劉生と結婚をする。しばらくは府下の西大久保にあった蓁の実家の2階に住んだ。翌1914年4月10日に長女の麗子が誕生する。1926年、長男鶴之助を産む。蓁自身は夫の劉生の絵のモデルを務めており、胸に手をおいた恰好で「画家の妻」や「南瓜を持てる像」に描かれている。
河瀬 虎三郎(かわせ とらさぶろう、1888年〈明治21年〉… 河瀬 虎三郎(かわせ とらさぶろう、1888年〈明治21年〉11月23日 - 1971年〈昭和46年〉1月4日)は、日本の茶人。号は無窮亭。ほかに偉風堂、春陽軒の号があった。 現在の徳島県徳島市駕篭屋町に生まれる。 1910年(明治43年)、大阪市東区瓦町(現在は中央区内)の繊維商家河瀬氏に婿入りし、家業を盛んにするかたわら古美術に興趣を寄せ、刀剣、刀装具、具足を蒐集し、刀剣の目利きとなる。所蔵刀の中には、のちに国宝・重要文化財指定および重要美術品認定を受けたものが多数ある。 1943年(昭和18年)、兵庫県本山村(現・神戸市東灘区)から奈良市多聞山に移る。奈良では仏教美術や茶道具を蒐集し、その見立てが賞された。
原 富太郎(はら とみたろう、慶応4年8月23日(1868年… 原 富太郎(はら とみたろう、慶応4年8月23日(1868年10月8日) - 昭和14年(1939年)8月16日)は、日本の実業家、美術品収集家、茶人。号は三溪。美濃国厚見郡佐波村(現・岐阜県岐阜市柳津町佐波)出身。 青木久衛の長男として生まれる。小学校卒業後、儒学者の野村藤陰や草場船山に学ぶ。その後上京し、東京専門学校(現・早稲田大学)で政治学・経済学を学び、跡見女学校の教師を務める。1892年、横浜の豪商・原善三郎の孫であり、跡見女学校での教え子であった原屋寿(はら やす)と結婚して原家に入り、家業を発展させた。神奈川県久良岐郡六浦荘村を本拠地とし、絹の貿易により富を築いた。 また富岡製糸場を中心とした製糸工場を各地に持ち、製糸家としても知られていた。
山田 宗有(やまだ そうゆう、本名:山田寅次郎、慶応2年8月… 山田 宗有(やまだ そうゆう、本名:山田寅次郎、慶応2年8月23日〈1866年10月1日〉 - 昭和32年〈1957年〉2月13日)は、実業家、茶人。 茶道宗徧流の第8世家元であるが、家元継承以前の山田 寅次郎(やまだとらじろう)の名で実業界でも活躍した。明治25年(1892年)にエルトゥールル号遭難事件の義捐金を届けにオスマン帝国(後のトルコ)に渡って以来、日本とトルコの交流に深く関わった人物としても知られる。 宗有(寅次郎)は、幕末の慶応2年(1866年)に沼田藩用人・中村雄左衛門(莞爾)の次男として沼田藩の江戸上屋敷で生まれた。中村家は曽祖父の代から家老職を務めていた。8歳まで沼田で生活し、明治維新後に上京した。
富谷 千太郎(とみたに せんたろう、安政5年2月5日(185… 富谷 千太郎(とみたに せんたろう、安政5年2月5日(1858年3月19日) - 大正13年(1924年)10月23日)は、日本の茶人、政治家。余子村長(初代)、余子村会議員。 竹内村(のち鳥取県境港市竹内町)出身。父喜七郎は醤油醸造をはじめ手広く事業をやっており、元治元年(1864年)の外江大火には醤油を見舞ったという。また村役人を務めた記録もある。 千太郎は初代村長として余子尋常小学校を開校し、明治23年(1890年)竹内村津山長四郎宅に役場を移転した。 いつのころか家業に失敗し、その後は煮干鰮製造や養鶏等を手掛けた。 またお茶やお花の宗匠でもあり、この道を海外で広めようと渡米したが、時期尚早で目的成らず帰国した。
伊藤 雋吉(いとう しゅんきち、1840年4月30日〈天保1… 伊藤 雋吉(いとう しゅんきち、1840年4月30日〈天保11年3月28日〉- 1921年〈大正10年〉4月10日)は、日本の海軍軍人、茶人、政治家。海軍中将正二位勲一等功三級男爵。 丹後田辺藩の下士、伊藤勝介の長男。丹後国加佐郡田辺城下(現在の京都府舞鶴市)に生まれる。幼少より学問に優れ、藩命により江戸に遊学して大村益次郎に師事し、兵学や数学を学ぶ。 明治維新の後、兵部省出仕、海軍操練所出仕、海軍兵学寮中教授(以上は文官)を経て、1871年(明治4年)、海軍少佐(武官)に任官すると同時に「春日」艦長。 「日進」副長を経て、1872年(明治5年)に海軍中佐に進級すると同時に「筑波 」艦長。その後、海軍兵学校監学課長、海軍兵学校長代理、海軍兵学校次長、「金剛」艦長を歴任し、1878年(明治11年)に海軍大佐に進級。
岡崎 惟素(おかざき これもと、1840年(天保11年) -… 岡崎 惟素(おかざき これもと、1840年(天保11年) - 1905年(明治38年)5月20日)は、日本の武士(岡山藩士)、実業家(三菱商会本社副支配人、日本郵船長崎支店長、日本逓業取締役、東京株式取引所理事)、茶人(織部流)。幼名は滝吉、のち滝之助。号は淵冲、谷神。 1840年(天保11年) 、備前国御野郡内田村(現・岡山市)生まれ。1870年(明治3年)、30歳の時は、岡山藩家老で金川領主の日置健太郎支配の下級藩士(陪臣)であった。廃藩置県後は東京に出て、官吏となるも、1877年(明治10年)36歳の時に岩崎弥太郎が創設した三菱商会に書記係として入社。のちに本社副支配人となる。1887年(明治20年)、三菱の荘田平五郎・内田耕作・浅田正文・岡本健三郎らと共に日本郵船(共同運輸と三菱汽船との合併会社)を創立した。
伊住 政和 は、日本の茶人、実業家。斎号は擔泉斎。茶名宗晃。