井口 佳典(いぐち よしのり、1977年8月22日 - )は… 井口 佳典(いぐち よしのり、1977年8月22日 - )は、三重県松阪市出身の競艇選手である。 三重支部所属。登録番号は4024。85期。弟子に新田雄史、平田健之佑がいる。 師匠は森岡正博、妻は元競艇選手の井口真弓(旧姓:新田)。ともに2013年3月引退。二人の息子がいる。
三重県立松阪工業高等学校:12人
※有名人ナビに登録されている12人を職業別に数えました。複数の職業を持つ人は、それぞれの職業に数えています。
井口 佳典(いぐち よしのり、1977年8月22日 - )は… 井口 佳典(いぐち よしのり、1977年8月22日 - )は、三重県松阪市出身の競艇選手である。 三重支部所属。登録番号は4024。85期。弟子に新田雄史、平田健之佑がいる。 師匠は森岡正博、妻は元競艇選手の井口真弓(旧姓:新田)。ともに2013年3月引退。二人の息子がいる。
4代目 桂 文我(かつら ぶんが、1960年8月15日 - … 4代目 桂 文我(かつら ぶんが、1960年8月15日 - )は三重県松阪市出身の落語家。本名は大東 幸浩。出囃子は「せり」。 松阪市立中部中学校から落語が好きで学校に落語の部活がなかったので教師に頼んで部活を創設するほどであった。その後三重県立松阪工業高等学校でも部活を立ち上げる、卒業後、1979年(昭和54年)3月2代目桂枝雀に入門。同年7月、茨木市での「雀の会」にて桂雀司として初舞台。1995年(平成7年)、4代目桂文我を襲名。現在では東名阪を中心に、全国各地で年間約300回の落語会を開催。また自らの幼少時に落語や浪曲に触れた経験から、とくに1992年(平成4年)ころより、子供を対象にした落語会も多数開いている。
斎藤 育造(さいとう いくぞう、1960年8月11日 - )… 斎藤 育造(さいとう いくぞう、1960年8月11日 - )は、三重県松阪市出身の元レスリング選手で現在は指導者。1984年ロサンゼルスオリンピックレスリング男子グレコローマン48キロ級銅メダリスト。三重県立松阪工業高等学校、専修大学卒業。
下村 英士(しもむら えいじ、1959年10月31日 - )… 下村 英士(しもむら えいじ、1959年10月31日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、バレーボール指導者。ロサンゼルスオリンピック全日本男子代表。 現在は広島経済大学男子バレーボール部監督。 三重県松阪市出身。松阪工高、大阪学院大を卒業後、1982年に日本専売公社(現日本たばこ産業)中国支部に入社。専売広島バレー部(現JTサンダーズ)に入部。猫田勝敏に鍛えられ、いわゆる「打てるセッター」としてリーグ屈指のセッターに成長。1984年日本リーグスパイク賞受賞。 一方、全日本では1983年にユニバーシアード代表に選出され、同年にはアジア選手権では優勝した。翌1984年、ロサンゼルスオリンピック全日本代表に選出される。
柏木 隆雄(かしわぎ たかお、1944年8月10日 - )は… 柏木 隆雄(かしわぎ たかお、1944年8月10日 - )は、フランス文学者、大阪大学名誉教授、前大手前大学学長。オノレ・ド・バルザック、ジュール・ルナールの研究が専門だが、日本文学にも造詣が深い。 三重県生まれ。三重県立松阪工業高等学校工業化学科を卒業、住友金属工業に入社、中央研究所勤務の後、1969年大阪大学文学部仏文科卒、75年同大学院満期退学、神戸女学院大学専任講師、助教授、1983年大阪大学文学部助教授、91年教授、2004-06年大学院文学研究科長、文学部長。2008年定年退任、名誉教授。2008-11年放送大学大阪学習センター所長、2011年大手前大学副学長、12年-16年学長。 2001-05年日本フランス語フランス文学会副会長、06-09年同関西支部長、09-13年日本フランス語フランス文学会副会長、13年-15年同会長。
中川 清司(なかがわ きよつぐ 1942年9月18日 - )… 中川 清司(なかがわ きよつぐ 1942年9月18日 - )は日本の木工芸家。 重要無形文化財「木工芸」の保持者(いわゆる人間国宝)。木工芸の人間国宝としては7番目の認定者(2001年認定)。 京都府出身。桶指物師の家に生まれた。20歳より父中川亀一に師事。家業である桶のほかに主要作品として箱などが多い。、木の正目をあわせる「柾合わせ」の技法を考案。指物の高度な技術を用い小さな木片を数百から時には千以上つなげ幾何学的で美しい文様を描く木画の技法を得意とする。桶やせいろなどの質の高い日常品も製作するが、芸術品としての代表作には神代杉をよく用いる。 2007年(平成19年)には文化庁によって、中川の高度な技術を記録する目的で工芸技術記録映画 『木工芸 - 中川清司のわざ - 』が作られている。
上之郷 利昭(かみのごう としあき、1936年(昭和11年)… 上之郷 利昭(かみのごう としあき、1936年(昭和11年)11月3日 - 2006年(平成18年)9月16日)は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家。 三重県出身。明治学院大学卒業。英国ロイター通信社や東京新聞(中日新聞社)社会部記者として、約2年にわたって世界各国で取材。1977年以来、フリーに。幅広い分野に関する多くの著書がある。 2006年9月16日午後7時58分、進行胃癌のため東京都板橋区の病院で死去。69歳没。
坂口 力(さかぐち ちから、1934年〈昭和9年〉4月1日 … 坂口 力(さかぐち ちから、1934年〈昭和9年〉4月1日 - )は、日本の政治家、医師、医学博士。 衆議院議員(11期)、労働大臣(第58・69代)、公明党副代表、厚生大臣(第85代)、厚生労働大臣(第1・2・3代)、公明党特別顧問などを歴任した。 1934年4月1日、三重県一志郡白山町(現:津市)に生まれる。三重県立松阪北高等学校を経て、三重県立大学(現:三重大学)医学部卒業。三重大学大学院医学研究科博士課程修了。大学院修了後は日本赤十字社血液センターで勤務した。 1972年12月、第33回衆議院議員総選挙に出馬し初当選(通算9回)。竹入義勝党委員長の下で党政策審議副会長に就任。以後、10年に渡り同職を務めた。
常松 克安(つねまつ かつやす、1933年8月15日 - )… 常松 克安(つねまつ かつやす、1933年8月15日 - )は、日本の政治家、元公明党参議院議員(1期)。 三重県出身。三重県立松阪北高等学校(現在の三重県立松阪工業高等学校)卒。松阪市議、公明党三重県本部書記長、副本部長、本部長、党中央委員を経て、1983年の第13回参議院議員通常選挙に比例区から公明党公認で立候補したが落選した。 1989年の第15回参議院議員通常選挙で比例区から立候補して当選する。1994年、新進党結党に参加。参議院議員を1期務め、1995年に政界を引退した。 2003年、救急救命士制度の導入に尽力した議員経験者として、NHK総合のドキュメンタリー番組『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』から取材を受けた。
奥田 碩(おくだ ひろし、1932年〈昭和7年〉12月29日… 奥田 碩(おくだ ひろし、1932年〈昭和7年〉12月29日 - )は、日本の経営者、トヨタ自動車元社長、同社元会長。 日本経営者団体連盟会長、日本経済団体連合会会長、内閣特別顧問、日本郵政取締役兼指名委員長兼報酬委員長、国際協力銀行総裁、トヨタ財団会長などを歴任した。勲等は旭日大綬章。 三重県津市出身。三重県立津中学校(現・三重県立津高等学校 疎開を機に転校)、松阪北高等学校(現・三重県立松阪工業高等学校)を経て、1955年に一橋大学商学部を卒業。奥田務(元J.フロント リテイリング会長兼CEO)は実弟。 幼少時は、祖父(奥田喜一郎)や父が三重県最大の証券会社・奥田証券を営んでおり裕福だった。
前川辰男(まえかわ たつお、1920年 <大正9年> 12月… 前川辰男(まえかわ たつお、1920年 <大正9年> 12月12日 - 2017年 <平成29年> 12月31日)は、三重県の地方議員。環境運動家。日本自然保護協会会員。ナチュラリスト。位階は従五位。 高花平(新興住宅団地)連合自治会長。四日市市議会議員を7期務め、昭和56年5月15日から ~昭和57年5月18日まで四日市市議会議長を務める。日本社会党所属。 四日市ぜんそくで四日市コンビナート企業と九鬼喜久男四日市市長を糾弾して、塩浜地区の公害患者の味方となり公害対策に貢献した。俳人や本の執筆者として活躍した文化人である。 三重県四日市市(塩浜地区)出身。一志郡(久居市)生まれ。 四日市市塩浜地区を中心とする四日市コンビナートから大気汚染で発生した四日市ぜんそくの公害裁判の公害患者による訴訟を推進するため政治家となる。
丹羽 保次郎(にわ やすじろう、1893年(明治26年)4月… 丹羽 保次郎(にわ やすじろう、1893年(明治26年)4月1日 - 1975年(昭和50年)2月28日)は、NE式写真電送装置(ファクシミリ)を開発した技術者。東京電機大学初代学長。日本の十大発明家の一人として数えられることもある。工学博士。三重県松阪市名誉市民(第1号)[要出典]。 三重県松阪市出身。旧制八高を経て1916年(大正5年)に東京帝国大学工科大学電気工学科を卒業。逓信省電気試験所を経て、1924年(大正13年)6月に日本電気に入社する。同年から翌年末にかけ欧米へ最新の通信技術を学びに視察。1926年(大正15年)2月に学位論文の「矩形枠捲線輪特ニ其誘導系数ノ計算方法ニ関スル研究」で帝大より工学博士を授与される。