南谷 真鈴(みなみや まりん、1996年12月20日 - )… 南谷 真鈴(みなみや まりん、1996年12月20日 - )は、日本の女性登山家・冒険家・環境活動家。七大陸最高峰日本人最年少登頂記録保持者。神奈川県川崎市出身。東京学芸大学附属国際中等教育学校卒業、早稲田大学政治経済学部を経てコロンビア大学へ転入し在学中。 神奈川県で生まれたが、父が貿易関係の仕事をしていたこともあり、1歳半でマレーシアに渡り、その後、大連、上海、香港とアジア各地を転々とした。幼い頃からバイオリン、ピアノ、ギター、マリンバ、ドラムを習い、部活もバレー、陸上、乗馬を同時にやっていた。香港に住んでいた13歳の時に学校行事で初めて山に登る機会があり、そこから山に本格的に興味を持ち、エベレストを目指すようになった。
阿部 雅龍(あべ まさたつ、1982年〈昭和57年〉12月2… 阿部 雅龍(あべ まさたつ、1982年〈昭和57年〉12月29日 - 2024年〈令和6年〉3月27日)は、日本の冒険家、人力車夫。 秋田県秋田市で生まれ、南秋田郡昭和町(現・潟上市)で育つ。郷里の小中学校、秋田県立秋田中央高等学校を経て、秋田大学工学資源学部機械工学科を卒業。 小学生の時、母に買ってもらった探検家の本でノルウェーのアムンゼン、イギリスのスコットと並んで秋田出身の探検家・白瀬矗が描かれていることに驚き、元々身体が弱かったこともあり、仲間と一緒に困難なことに挑戦する冒険家は理想の存在であった。 秋大時代は、空手に打ち込み、2年生の終わりの春休みに大阪までヒッチハイクで行く。駅や道端で寝たり、トラック運転手に食事をおごってもらう旅を通じ、同郷の白瀬や北極・南極を単独徒歩で横断した山形出身の冒険家大場満郎に憧れを募らせ、大学を2年間休学することを決断。
渡辺 大剛(わたなべ はるひさ、1981年(昭和56年)8月… 渡辺 大剛(わたなべ はるひさ、1981年(昭和56年)8月25日 - 2012年(平成24年)12月26日)は、日本の冒険家、登山家である。22歳292日で達成した七大陸最高峰登頂は日本人の中では、2番目に若い記録である。 静岡県周智郡森町出身。磐田東高等学校に入学。高校2年の冬、自転車で単独日本縦断(静岡〜四国〜岡山)をした。九州産業大学芸術学部写真学科に入学後、山岳部に在籍し、本格的に登山を始めた。2002年、シルクロードを旅し、ヘルディンに日本人として初めて登頂した。 世界各地を巡る旅をしていた同年9月、アフリカ最高峰のキリマンジャロに登頂したのを機に、七大陸最高峰登頂を目指すようになり、2003年には、2月に南米アコンカグア、6月に新欧州エルブルース、旧欧州モンブラン、同7月にオセアニアコジウスコと立て続けに登頂した。
荻田 泰永(おぎた やすなが、1977年9月1日 - )は、… 荻田 泰永(おぎた やすなが、1977年9月1日 - )は、日本の冒険家(元N,A,P所属)。北極圏における単独徒歩行などに取り組んでいる。
西村 瑞樹(にしむら みずき、1977年〈昭和52年〉4月2… 西村 瑞樹(にしむら みずき、1977年〈昭和52年〉4月23日 - )は、日本のお笑いタレント、冒険家。お笑いコンビ・バイきんぐにて主にボケを担当。相方は小峠英二。広島県広島市出身。ソニー・ミュージックアーティスツ(SMA NEET Project)所属。大阪NSC17期生。身長171 cm、血液型O型。既婚。 広島県広島市出身、同県安芸郡府中町および兵庫県尼崎市育ち。府中町立府中北小学校卒業。小学校卒業後に尼崎市に転居。高校は兵庫県立尼崎稲園高等学校を卒業。 芸人を目指したきっかけはバラエティ番組『夢で逢えたら』(フジテレビ)が好きで影響を受けたから。高校3年生の時、大分県の自動車教習所の合宿で知り合った小峠英二とNSCの面接で再会したことをきっかけに1996年にコンビを結成する。
八幡 暁(やはた さとる、1974年9月17日 - )は日本… 八幡 暁(やはた さとる、1974年9月17日 - )は日本の冒険家。東京都出身。 八丈島で素もぐり漁をはじめる。大学卒業後は世界各地の漁師の仕事を見ながら、国内外を巡った後、シーカヤックに出会い、更なる海の可能性を見出す。『海とともに暮らす人々は、どのように生きているのか』をテーマに、2002年にオーストラリアから日本までの多島海域を舞台に「グレートシーマンプロジェクト」として人力航海の冒険をスタート。世界初となる航海記録を複数持つ。 手漕屋素潜店ちゅらねしあでガイド、各地で講演、執筆を行っている。 2009年、黒潮の源流域に暮らすフィリピンの人々を調査したいとの依頼を、高知大学山岡耕作教授(当時)より受け、シーカヤックでしかアプローチ出来ないような漁村を3年間かけ、南北1,000kmに渡って調査した。
安東 浩正(あんどう ひろまさ、1970年1月23日 - )… 安東 浩正(あんどう ひろまさ、1970年1月23日 - )は、日本の冒険家、サイクリスト、登山家、飛行家。広島県出身。現在は神奈川県藤沢市に在住。 1970年、広島県に生まれる。福山市立福山高等学校を経て、鳥取大学工学部機械工学科卒業。植村直己に憧れ、大学在学中は山岳部に所属した。山岳少数民族への関心から、中国・雲南大学に留学。海外の高所登山、トレッキング、辺境旅行のガイドとして「ワンダートレック」を主催している。日本国際自転車交流協会(日本アドベンチャーサイクリストクラブ・JACC)の評議員を務める。また、日本気球連盟の熱気球パイロットでもある。 海外:ロシア・コムソモールプラウダ、アラスカ・DailyNews-Miner等共同通信、時事通信により地方各紙、世界中のメディアに発信された
中西 大輔(なかにし だいすけ、1970年〈昭和45年〉 -… 中西 大輔(なかにし だいすけ、1970年〈昭和45年〉 -)は、兵庫県出身の自転車での冒険家。日本アドベンチャーサイクリストクラブ(JACC)所属。植村直己冒険賞を受賞。 1970年、兵庫県川西市に生まれる。小学校4年生の時初めて二輪の自転車に乗れるようになる。兵庫県立川西北陵高等学校在学時代に毎日片道約10kmを自転車で通学する。このころ植村直己に憧れ著書を何度も読み返す。 1988年に追手門学院大学経済学部に入学するとニューサイクリング部に入部し日本全国を自転車(ランドナー)で走行する。3年生の夏休みに自転車で単独アメリカ合衆国横断を達成したのを皮切りに卒業までに海外20カ国を走破し世界一周自転車行の夢をいだく。
斉藤 竜明(さいとう たつあき、1969年6月17日 - )… 斉藤 竜明(さいとう たつあき、1969年6月17日 - )は、北海道有珠郡大滝村(現在は伊達市大滝区)出身、東京都北区赤羽在住の、代表曲『フラノの歌』で知られるシンガーソングライター、冒険家。 その一見冴えない風貌、極限まで出費を切り詰めた貧乏生活、気どらない性格、音楽へのひたむきな姿勢、透き通った高音域の美声から、赤羽のポール・ポッツの異名をとる。また、同様の趣旨で、赤羽のスーザン・ボイルと呼ばれることもある(ただし、ポールが同性・男性歌手であるのに対して、スーザンは異性・女性歌手である)。 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。
早川 伸吾(はやかわ しんご、1968年1月14日 - )は… 早川 伸吾(はやかわ しんご、1968年1月14日 - )は、宮崎県を拠点に活躍する日本のお笑い芸人、ラジオパーソナリティ、大道芸人、司会者、俳優、冒険家、YouTuber。 本名同じ。そのまんま東(現・東国原英夫)の一番弟子で、ビートたけしの初孫弟子でもあり、師匠である東国原英夫の政務秘書も務めていた。元たけし軍団の一員である。自身のYouTube『早川伸吾の一番乗りちゃんねる』で、新店舗開店、一番乗りに挑戦する動画や宮崎でキャンプをするプロ野球やサッカーなどの主にファンサービスを中心に配信している。 愛知県名古屋市南区出身、名古屋市立大磯小学校、名古屋市立新郊中学校、私立名古屋大谷高等学校卒業。
續 素美代(つづき すみよ、1967年12月29日 - )は… 續 素美代(つづき すみよ、1967年12月29日 - )は日本の女性登山家、冒険家、フリーライター。ヒマラヤ山脈やカラコルム山脈の8000m峰の登頂記録を持つ。 熊本県玉名郡玉東町生まれ。幼い頃は大人しく、人見知りも激しかった。外で遊ぶより自宅で読書をしたり、フェルトで人形を作ったり、刺繍をするなどして過ごすことが多かった。母親のしつけは厳しく、特に家事は3、4歳頃から仕込まれた。 國學院大學4年生のときに行ったフランス旅行の帰りの飛行機の中でドイツ人の男性登山家に登山に誘われる。「富士山くらいなら一緒に登ってもいいか」という程度の軽い気持ちで電話番号を教えたが、その後本当に誘いの電話がありエベレスト登山隊に同行することとなった。
白石 康次郎(しらいし こうじろう、1967年5月8日 - … 白石 康次郎(しらいし こうじろう、1967年5月8日 - )は、日本の海洋冒険家。神奈川県鎌倉市出身。ヨットで単独世界1周を3度経験している(2008年1月25日現在)。 マネジメント契約先はスポーツビズ。
九里 徳泰(くのり のりやす、1965年3月15日 - )は… 九里 徳泰(くのり のりやす、1965年3月15日 - )は、日本の冒険家。中央大学研究開発機構助教授を経て、富山県立大学工学部環境工学科教授、放送大学富山学習センター客員教授。2015年4月〜相模女子大学学芸学部英語文化コミュニケーション学科教授。2020年4月~相模女子大学大学院MBA-SE社会起業研究科教授。2025年4月~実践女子大学国際学部教授。博士(工学):サステナビリティ・マネジメント。 神奈川県出身。かつてはアミューズに所属していた。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
今給黎 教子(いまきいれ きょうこ、1965年1月21日 -… 今給黎 教子(いまきいれ きょうこ、1965年1月21日 - )は、日本の海洋冒険家。鹿児島県出身。 鹿児島県日置郡吹上町に生まれた。10歳のとき、小学校の教師をしていた父が死去する[要出典]。 鹿児島市立紫原中学校時代、R・L・グレアムの航海記『ダブ号の冒険』を読み、ヨットに関心を持つ。1980年、鹿児島県立錦江湾高校に入学し、ヨット部に所属。1981年から1987年にかけて、国民体育大会のヨット競技に7年連続出場、高校総体で3位に入賞。高校卒業後、鹿児島市役所に就職し、ヨット部に所属。1987年、市役所を退職。 1988年、ヨット「海連垂乳根」で日本人女性として初めて、太平洋単独往復に成功した。
河野 兵市(こうの ひょういち、1958年4月12日 - 2… 河野 兵市(こうの ひょういち、1958年4月12日 - 2001年5月17日頃)は、日本の冒険家。日本人初の北極点単独徒歩到達。愛媛県西宇和郡瀬戸町(現伊方町)出身。 日本アドベンチャーサイクリストクラブ永久会員。 愛媛県立三崎高等学校卒業。1978年の自転車での日本一周の後、北米や南米を走破する。1982年、冒険家植村直己の影響を受けアラスカのユーコン河フォートユーコンからベーリング海までゴムボートで旅をする。また、登山経験は殆ど無かったものの、ニューヨークでアルバイトをしながら、日本人の登山家に弟子入りし、登山のノウハウを学び、1983年、北米大陸最高峰のマッキンリーの登頂に成功。 その後、南米最高峰のアコンカグア等の山々の登頂に成功。
埜口 保男(のぐち やすお、1958年(昭和33年) - )… 埜口 保男(のぐち やすお、1958年(昭和33年) - )は、日本の自転車による冒険家であり、千葉県立病院に勤務する看護師である。放送大学修士修了。JACC所属。茨城県出身。千葉県在住。 幼少時代の病弱な体質を自転車に乗り続けることにより克服する。大学受験に失敗したのち看護系の専門学校を卒業。のちに看護師となる。専門学校時代の夏休みを利用して東北縦断、北海道を一周する。このことによりキャンプ生活を主体とした自転車旅行をベースにしていく。 その後、資金をためて世界一周旅行へと旅立つ。北アメリカ大陸・南アメリカ大陸をまわり、ユーラシア大陸、そして肝炎を患いながらもアフリカ大陸を走破。オーストラリア大陸を縦断した後に帰国。
中山 嘉太郎(なかやま よしたろう、1957年 - )は日本… 中山 嘉太郎(なかやま よしたろう、1957年 - )は日本の冒険家。
藤田 昌彦(ふじた まさひこ、1956年3月23日 - )は… 藤田 昌彦(ふじた まさひこ、1956年3月23日 - )は東京都出身の熱気球競技選手、冒険家。熱気球の販売・レンタル及び熱気球を用いた広告宣伝の企画運営等を行う有限会社バルーンカンパニーの代表取締役。息子は同じく熱気球競技選手で日本人初の世界選手権優勝者である藤田雄大。 東京都立松原高等学校在校時に梅棹エリオによる日本初の熱気球有人飛行成功の体験記に触れ気球に興味を持ち、国際商科大学に進学後、仲間を募って気球を自作し飛行に成功した。大学卒業後は熱気球競技の盛んなアメリカに一年間渡り技術を磨き、帰国してからは熱気球文化の根ざすヨーロッパをはじめ世界各国の気球大会に参加しつつ国内の大会にも参戦。1989年、2000年と2回の日本選手権優勝、熱気球ホンダグランプリ3連覇、熱気球ワールドホンダグランプリ優勝、日本人初のワールドエアゲームス金メダルなどの成績を上げ日本熱気球界で「世界の藤田」と呼ばれる存在となる。
永瀬 忠志(ながせ ただし、1956年(昭和31年)2月15… 永瀬 忠志(ながせ ただし、1956年(昭和31年)2月15日 - )は、日本の冒険家。島根県出身。リヤカーマンの愛称で知られる。 少年時代に自転車で20kmの小旅行を経験。この体験が自身の冒険の原点となる。18歳のとき自転車で海岸沿いに日本一周旅行に挑戦。 1975年大阪産業大学工学部機械工学科に入学、真冬でもタンクトップに作業服を羽織るだけで登校していた。近年は工業高校の教員として働いている。 19歳のとき初めてリヤカーで日本徒歩縦断して以来、41年間で地球一周分に当たる4万7千kmを歩いた。2005年に植村直己冒険賞を受賞。また、2016年5月にはTBS系『クレイジージャーニー』に出演しこれまでの旅の映像などを公開、同放送は2016年5月度月間ギャラクシー賞を受賞している。
内田 正洋(うちだ まさひろ、1956年 - )は、 長崎県… 内田 正洋(うちだ まさひろ、1956年 - )は、 長崎県大村市出身の日本のジャーナリスト、冒険家、シーカヤックの指導者。パリ・ダカール・ラリーにナビゲーターとして参加し、シーカヤックの普及活動にも取り組んでいる。また、海洋文化や自然保護に関する活動も行っている。 内田は自然や海に興味を持ち、1978年に日本大学農獣医学部水産学科を卒業した。専攻は遠洋漁業学で、在学中にマグロ漁の実習として半年間の航海に参加した。高校ではラグビー部に所属し、全国大会(花園)に出場した。 内田は、1979年に株式会社ACP(Adventurous Creative Pearsons)に入社し、TBSテレビの「おはよう720」内のコーナー「キャラバンⅡ」でスタッフドライバーとしてアメリカ横断ロケに参加した。
上温湯 隆(かみおんゆ たかし、1952年11月29日 - … 上温湯 隆(かみおんゆ たかし、1952年11月29日 - 1975年5月29日、22歳没)は、日本の冒険家、探検家。 高校中退後、国内沿海航路貨物船の見習いコックとして働き、資金を貯めた上温湯は、1970年2月1日、50か国にわたる“世界放浪”へ旅立つ。 東京-沖縄-台湾から旅は始まり、アジア、ヨーロッパを経てアフリカへ入る。アフリカでは、エジプト - スーダン - エチオピア - ケニア - タンザニア - マラウイ - モザンビーク - ザンビア - ザイール - 中央アフリカ - カメルーン - ナイジェリア - ダオメー - トーゴ - ガーナ - コートジボワール - マリ - ニジェール - アルジェリアを通り、ヨーロッパへ一度戻りアルバイトで資金を貯めてから、モロッコ - 西サハラ - モーリタニア - マリ - セネガルへと旅を続けた。
近藤 純夫(こんどう すみお、1952年3月10日 - )は… 近藤 純夫(こんどう すみお、1952年3月10日 - )は、日本のエッセイスト、翻訳家、冒険家。 子ども調査研究所主任研究員の同名人物は別人。 北海道出身。1970年よりフランス留学後、法政大学文学部哲学科卒業。出版社勤務、予備校教師を経てエッセイスト、翻訳家。 1994年よりハワイ火山国立公園アドバイザー。1983年より2005年まで地球クラブ代表。 1992年より日本洞窟学会会員、2000年より2011年まで日本火山学会会員。 1994年より1998年までオペル冒険大賞コーディネーター。1993年より1999年まで RJCカー・オブ・ザ・イヤー(NEW CAR OF THE YEAR選考委員会) 委員 。
清水 国明(しみず くにあき、1950年10月15日 - )… 清水 国明(しみず くにあき、1950年10月15日 - )は、福井県出身の日本のタレント・歌手・作家・冒険家・実業家である。アウトドア愛好者として有名。 元国際A級ロードレースライダーでもある。所属事務所はあのねのね事務所→アワーライフ。 芸名は、現在デビュー時と同じ清水国明。一時期本名の清水國明に変えていた。
風間 深志(かざま しんじ、1950年9月26日- )は、山… 風間 深志(かざま しんじ、1950年9月26日- )は、山梨県山梨市出身の冒険家。オートバイによる史上初の北極点・南極点到達、チョモランマ挑戦時の世界最高高度記録(6,005m)など3つの世界記録を持つ。パリ・ダカールラリーにおいて二輪部門での日本人初参戦など、オートバイラリーのパイオニア。ホリプロ所属、日本モーターサイクルスポーツ協会 (MFJ) 評議員、山梨県観光大使、山梨市観光大使、全日本そり連盟会長と、多岐にわたって活動中。三男は俳優でモトクロスライダーの風間晋之介。
神田 道夫(かんだ みちお、1949年12月 - 2008年… 神田 道夫(かんだ みちお、1949年12月 - 2008年)は、日本の冒険家。熱気球による長距離飛行や山越えに挑戦していた。埼玉県比企郡川島町教育委員会職員。
鈴木 紀夫(すずき のりお、1949年(昭和24年)4月 -… 鈴木 紀夫(すずき のりお、1949年(昭和24年)4月 - 1986年(昭和61年)11月)は、日本の冒険家。千葉県市原市八幡出身。習志野市立習志野高等学校卒業。法政大学経済学部二部中退。
梅棹 エリオ(うめさお えりお、1948年 - )は京都府出… 梅棹 エリオ(うめさお えりお、1948年 - )は京都府出身の元冒険家。 梅棹忠夫の長男。平安高等学校の規則の厳しさに反撥して同校を3ヶ月で自主退学し、翌年、京都府立鴨沂高等学校に入学。同校では山岳部に所属。同校2年生のとき成績不良で落第し、2度目の2年生の夏休みに屋久島を旅したことがきっかけで熱気球飛行を思い立つ。1969年同校卒業。 1969年9月28日、京大工学部生の田中厚生、京大理学部生の嶋本伸雄、立命館大機械科生の仁張育夫(にんばり いくお)、浪人生(のち千葉大生)小又哲と共に日本初の熱気球飛行に成功(顧問は名古屋大学教授樋口敬二)。この体験を「若人の夢・風船旅行のスリル」と題して『旅』1970年1月号に発表。
和泉 雅子(いずみ まさこ、1947年〈昭和22年〉7月31… 和泉 雅子(いずみ まさこ、1947年〈昭和22年〉7月31日 - 2025年〈令和7年〉7月9日)は、日本の女優、歌手、冒険家。東京都出身。血液型はA型。愛称はマコ、マー坊。 1989年5月10日、海氷上からでは日本人女性として、初めて北極点到達を果たした。 東京都中央区銀座の三原橋のたもとにあった、寿司割烹の「太泉(たいせん)食堂」を営む和泉宗太郎と母満代の長女として生まれた。弟は夫妻の長男で、和泉寿時。和泉家は、江戸時代は代々幕府御用達の家具商を務めた。また、戦国武将の竹中半兵衛の末裔に当たる。明治維新後は谷中霊園で和泉家石材店を開業した。築地で鮪を扱う親戚がいたため、父は分家して魚介類の卸売業に転じ、魚河岸で鮪を商った後、場外で煮干し屋を営み、戦後は三原橋に土地を購入して店を開いた。
大島 育雄(おおしま いくお、1947年 - )は、日本出身… 大島 育雄(おおしま いくお、1947年 - )は、日本出身の猟師(ドイツ語版)、著作家、冒険家。グリーンランド在住。 1947年、東京都東久留米市生まれ。1971年、日本大学生産工学部を卒業。1972年、25歳のときに日本大学山岳部OBとして極地遠征の準備のためグリーンランドに渡る。同じ頃にグリーンランドに滞在した植村直己とも活動を共にした。2年後、現地シオラパルクのアンナ・トンゲ・ニビッンカングア・マノミーナと結婚しそのまま永住。 狩猟を生活の糧として家族を養い続け、1男4女をもうけた。2006年時点で孫が5人いる。 現在も日本国籍。シオラパルク在住。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
辰野 勇(たつの いさむ、1947年 - )は、日本の登山家… 辰野 勇(たつの いさむ、1947年 - )は、日本の登山家、冒険家。登山用品メーカーの株式会社モンベル(mont-bell)の創業者であり、現在は会長を務める。大阪府堺市出身。大阪府立和泉高等学校卒業。奈良県奈良市高畑町在住。
中島 正一(なかじま しょういち 、1946年〈昭和21年〉… 中島 正一(なかじま しょういち 、1946年〈昭和21年〉2月13日 - 1991年〈平成3年〉1月?)は、日本の海洋冒険家、水泳指導者。北海道福島町出身。 津軽海峡を単独で泳いで渡った初めての人物。世界の21海峡を泳破し、遠泳への認識を世間に広げた。 1946年2月13日、津軽海峡に面する松前郡福島町に生まれる。中学・高校時代は相撲部に所属し、大相撲力士を目指した。しかし体が小さく、角界に進むことは断念した。 国士舘大学へ進学後、水泳に転向した。 大学3年生だった1967年(昭和42年)8月27日、津軽海峡の横断に挑戦した。北海道最南端にある福島町の白神岬を出発し、南へ約19.6km対岸にある青森県の龍飛岬を目指した。
久保田 勝(くぼた まさる、1943年1月3日 - )は、日… 久保田 勝(くぼた まさる、1943年1月3日 - )は、日本のラリーレーサー、カメラマン、冒険家。広島県芦品郡新市町(現・福山市)出身。 中学卒業後にTBSテレビやNHKのテレビクルーを経た後、1979年に横田紀一郎を中心としてパリ・ダカールラリーに出場するために結成された「TeamACP」にメカニック兼ドライバーとして参加し、1981年の第3回大会から1992年の第14回大会までオート部門において11年連続で参戦する。特に2度目の出場となった1982年の第4回大会では、内田正洋と共にトヨタ・カリーナ1500で参戦し、総合34位のみならず、市販車無改造・2輪駆動・バギー・マラソンの4部門において優勝という快挙を成し遂げた。
植村 直己(うえむら なおみ、1941年〈昭和16年〉2月1… 植村 直己(うえむら なおみ、1941年〈昭和16年〉2月12日 - 1984年〈昭和59年〉2月13日)は、日本の登山家、冒険家。 兵庫県出身。1970年に世界最高峰エベレストに日本人で初めて登頂した。同年、世界初の五大陸最高峰登頂者となる。1978年に犬ぞり単独行としては世界で初めて北極点に到達した。1984年、冬期のマッキンリー山(デナリ)に世界で初めて単独登頂したが、下山中に消息不明となった。1984年、国民栄誉賞を受賞した。 1941年2月12日、兵庫県城崎郡国府村(現:豊岡市日高町)上郷で、父・植村藤治郎と母・梅の7人兄弟の末子として生まれた。実家は農業とわら縄製造。 藤治郎の3代前の「植村直助」から「直」の字を取り、干支の「巳」と合わせて「直巳」と名付けられたが、村役場の戸籍担当職員が戸籍簿に誤って「直已」と記入したことから、戸籍名は「直已」として登録された。
神崎 忠男(かんざき ただお、1940年〈昭和15年〉5月1… 神崎 忠男(かんざき ただお、1940年〈昭和15年〉5月1日 - )は、日本の登山家、冒険家。登山界のリーダー、山岳団体の要職を務めた人物である。 東京都出身。日本大学山岳部出身。 神崎は、エベレストに4回挑戦したが頂上には到達できず、自身を「悲劇の登山家」と呼んでいた。1970年のエベレスト登山では滑落事故を経験し、1980年のチョモランマ登山では急性心筋梗塞を発症した。 NHK文化センター、読売日本テレビ文化センター、昭和女子大オープンカレッジ各登山教室講師 太郎と花子山の会会長 ジャックアンドベティ山の会会長 数多くの世界の登山、トラッキングを会員を連れて挑戦 韓国(北漢山、智異山、月出山、道峰山、漢拏山、雪岳山)、中国(雪宝頂)、台湾(玉山、雪山、南湖大山、中央尖山)、香港(海の見える山)、ロシア(アパチャ山)、トルコ(カッパドキア)、カンボジア、イタリア(ドロミテ)、グルジア(コーカサス)、スペイン(ピレネー山脈)、カザフスタン(天山)、アメリカ(グランドキャニオン、ヨセミテ国立公園)、イギリス(ウェールズ)、南極など 2019年時点で79歳であったが、月に10〜15日は古い友人たちと山歩きを楽しんでいた。
青木 廣彰(あおき ひろあき、1938年10月9日 - 20… 青木 廣彰(あおき ひろあき、1938年10月9日 - 2008年7月10日)は、東京都出身の実業家、冒険家、元レスリング選手、バックギャモンプレーヤー。通称、ロッキー青木。全米各地で鉄板焼きレストランチェーン「BENIHANA」を展開した経営者(創業は父の郷宏之こと青木湯之助)。息子のスティーヴ・アオキはディスクジョッキー(DJ)、娘のデヴォン青木はモデル・女優として知られる。 青木湯之助、かつの長男として中野で生まれる。青木家は江戸時代は紀州徳川直参の旗本だった和歌山県士族の旧家である[要出典]。父の湯之助はかつて郷宏之の芸名で活躍していた俳優・タップダンサーで、後にレストランチェーン紅花 (BENIHANA) 共同創業者となった。
堀江 謙一(ほりえ けんいち、1938年〈昭和13年〉9月8… 堀江 謙一(ほりえ けんいち、1938年〈昭和13年〉9月8日 - )は、日本の海洋冒険家(ソロセーラー、ヨットマン)。大阪府大阪市生まれ。兵庫県芦屋市在住。 1962年、日本人として初めて、小型ヨットによる太平洋単独無寄港横断に成功。1974年、日本初の小型ヨット単独無寄港世界一周に成功。 アマチュア無線家でもある。コールサインはJR3JJE。 大阪市港区で生まれた。 太平洋戦争の末期には大阪府下の箕面村(今の箕面市)で一家で暮らした。1945年(昭和20年)の3月から8月にかけて、大阪市への空襲の際は、遠く離れた堀江のいた箕面市にも爆発音や衝撃波が届くような状況であった。このため太平洋横断中、ミッドウェー島の近くに来た時に、島に向かって死去した兵士に黙祷した。
鳥居 鉄也(とりい てつや、1918年(大正7年)5月14日… 鳥居 鉄也(とりい てつや、1918年(大正7年)5月14日 - 2008年(平成20年)10月16日)は、日本の地球化学者、冒険家。日本における南極調査・研究の第一人者。理学博士。ソ連科学アカデミー南極大陸発見150周年メダル、南極観測20周年文部大臣表彰などを受賞。日本極地研究振興会理事長、千葉工業大学教授などを歴任。
江見 水蔭(えみ すいいん、明治2年8月12日(1869年9… 江見 水蔭(えみ すいいん、明治2年8月12日(1869年9月17日) - 昭和9年(1934年)11月3日)は、岡山市生まれの小説家、翻訳家、編集者、冒険家。本名:忠功(ただかつ)。 文学作品を皮切りに、通俗小説、推理小説、冒険小説、探検記など多岐に渡る分野に作品を残し、硯友社、博文館など数々の出版社で雑誌の編集発行に関わった。代表作に小説『女房殺し』、『地底探検記』、随筆『自己中心明治文壇史』、翻案戯曲『正劇 室鷲郎』など。 江見忠功は岡山の一番町一番屋敷に生れた。父の鋭馬は水蔭が幼少の頃死去。1881年、叔父の水原久雄の勧めで軍人を志して上京したが、次第に文学に惹かれるようになり、15歳のときに軍人を諦める。
玉井 喜作(たまい きさく、慶応2年5月18日(1866年6… 玉井 喜作(たまい きさく、慶応2年5月18日(1866年6月30日) - 1906年(明治39年)9月25日)は、日本のジャーナリスト、教育家、冒険家。札幌農学校でドイツ語教授を務めた後にシベリアを単身横断してドイツに渡り、月刊誌『東亜(Ost-Asien)』を刊行するなどジャーナリストとして活動した。また、在留日本人の面倒をよくみたことから「私設公使」の異名をとった。 周防国光井村(現・山口県光市光井)で「銘酒玉川」を醸造していた造り酒屋に生まれる。 山口黒城塾、広島県中学校(現・広島県立広島国泰寺高等学校)を経て、上京し獨逸学協会学校(現・獨協中学校・高等学校)に通う。同時に、遠い親戚で幼い頃から兄のように慕っていた原田貞介(後に工学博士。
中村 直吉(なかむら なおきち、慶応元年6月25日〈1865… 中村 直吉(なかむら なおきち、慶応元年6月25日〈1865年8月16日〉 - 昭和7年〈1932年〉7月27日)は、明治時代の冒険家。生来の旅好きで「旅行狂」「風船玉」を自称した。 三河国吉田呉服町(現・愛知県豊橋市呉服町)に生まれる。 明治20年(1887年)、福沢諭吉が横浜正金銀行初代頭取だった中村道太とともに、アメリカに「日本村」建設を計画すると、これに共鳴し参加を志す。しかし、計画の責任者だった井上角五郎が甲申政変に関与した嫌疑で逮捕されたため、渡航直前に計画が頓挫してしまう。 アメリカ行きの志を諦めきれない直吉は、翌21年(1888年)に結婚後間もない妻を残し単身渡米した。以後、同26年(1893年)の一時帰国を挟んで、明治31年(1898年)までの前後10年間に及ぶ海外放浪を続け見聞を広める。
小林美登利(こばやし みどり 1891年(明治23年)- … 小林美登利(こばやし みどり 1891年(明治23年)- 1961年(昭和36年))は、日系ブラジル人の教育家、宗教家(プロテスタントの牧師)、剣道師範、音楽家、冒険家。考古学や探検にも携わった。大正年間にブラジルに移住し、同国を中心に活動した。