スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
原田 紗希(はらだ さき、2003年〈平成15年〉10月26… 原田 紗希(はらだ さき、2003年〈平成15年〉10月26日 - )は、宮崎県小林市出身の陸上競技選手。専門は長距離走。宮崎県立小林高等学校、名城大学卒業。天満屋陸上競技部所属。 小林市立小林中学校、宮崎県立小林高等学校、名城大学卒業。 2022年に石松愛朱加、米澤奈々香ら中学時代から力のある同期とともに名城大に入学したが、1年次は全日本大学女子駅伝および富士山女子駅伝への出走はなかった。一方、学生女子ハーフマラソンでは増渕祐香や谷本七星らの先輩を上回り、1年生ながら3位入賞。ワールドユニバーシティゲームズのメンバーに選出された。 2023年のワールドユニバーシティゲームズでは総合14位に終わるも、北川星瑠の優勝もありハーフマラソン団体では2位となった。
高田 栞里(たかた しおり、2002年9月26日 - )は、… 高田 栞里(たかた しおり、2002年9月26日 - )は、日本の女子バスケットボール選手である。ポジションはスモールフォワード。Wリーグのアイシン ウィングス所属。 小林高校でインターハイ・ウインターカップベスト8。 白鷗大ではインカレ優勝を経験。 2021年、山梨クィーンビーズにアーリーエントリーを経て加入。 2026年、アイシン ウィングスへ移籍。
大森 尊之(おおもり たかゆき、2002年8月14日 - )… 大森 尊之(おおもり たかゆき、2002年8月14日 - )は日本のバスケットボール選手である。 宮崎県出身。日本体育大学卒業。ポジションはガード。B3リーグ・金沢武士団に所属。 宮崎県立小林高等学校から日本体育大学へ進学。バスケットボール部に所属し、ずば抜けた得点力で第72回および第73回関東大学バスケットボール選手権大会・第100回関東大学バスケットボールリーグ戦優勝へ貢献する。在学中の2024年12月26日、神奈川大学の保坂晃毅と共に熊本ヴォルターズと特別指定選手契約を締結するが、スターター起用を含めレギュラーシーズン33回・プレーオフ2回の出場を得た保坂に対して僅か7回(平均2分32秒)の起用にとどまり、プレーオフへの出場もなかった。
倉掛 響(くらかけ ひびき、2002年7月23日 - )は、… 倉掛 響(くらかけ ひびき、2002年7月23日 - )は、日本の陸上競技選手。元宮崎県5000m高校記録保持者。福岡県出身。東京国際大学人間社会学部スポーツ科学科卒業。駅伝部に所属していた。専門種目は、長距離走。 筑前町立夜須中学校、宮崎県立小林高等学校出身。
飯隈 愛理(いいぐま あいり、1999年9月7日 - )は、… 飯隈 愛理(いいぐま あいり、1999年9月7日 - )は、日本の女子バスケットボール選手である。ポジションはパワーフォワード。Wリーグの新潟アルビレックスBBラビッツ所属。 鹿児島県鹿屋市出身。 小林高校、鹿屋体育大で全国大会を経験。 2022年、新潟アルビレックスBBラビッツにアーリーエントリーを経て加入。
今西 駿介(いまにし しゅんすけ、1997年8月29日 - … 今西 駿介(いまにし しゅんすけ、1997年8月29日 - )は、宮崎県高原町出身の元陸上競技選手。専門は長距離走。宮崎県立小林高等学校を経て、東洋大学経済学部卒業。第14回アジアクロスカントリー選手権大会・銅メダリスト。
村上 慎也(むらかみ しんや、1991年3月5日 - )は、… 村上 慎也(むらかみ しんや、1991年3月5日 - )は、バスケットボール選手である。ポジションはポイントガード。パスラボ山形ワイヴァンズ所属。 小林高校を卒業後の2009年4月、九州共立大学に進学。2010年全九州大学春季バスケットボール選手権でアシスト王を獲得。2013年7月、浜松・東三河フェニックスに入団。2014年8月、福島ファイヤーボンズに移籍。2023年6月、パスラボ山形ワイヴァンズに移籍。
野元 勇志(のもと たけし、1989年8月20日 - )は、… 野元 勇志(のもと たけし、1989年8月20日 - )は、日本のバスケットボール選手である。2014年に行われた3人制バスケットボール「3x3」世界大会に、日本代表として出場した。愛称はTA-BO(ターボ)。 宮崎県出身。小林高校を卒業した後、勧誘を受けていた大東文化大学に入学。しかし、学業が疎かになり留年したため、部活動の規定によって試合に出られなくなってしまう。退部した後は一時競技から離れるが、大学の先輩でありストリートボールの選手となっていた眞庭城聖に誘われ、ストリートボールチームの「UNDERDOG」に加わった。 2014年4月には3x3の日本代表候補に選出され、選考の末5月に日本代表の座をつかんだ。
前村 雄大(まえむら ゆうだい、1987年7月6日 - )は… 前村 雄大(まえむら ゆうだい、1987年7月6日 - )は、日本の男子元プロバスケットボール選手である。宮崎県出身。ポジションはガード。身長176cm、体重73kg。2019年 Bリーグバレンタイン企画の B.LEAGUEモテ男No.1決定戦でB2で優勝をした。 2023-24シーズンよりファイティングイーグルス名古屋のアシスタントコーチを務める。 宮崎県立小林高等学校から東海大学に進み、4年次にはインカレ4位でベスト5を受賞。 卒業後の2010年、豊田通商に入社、バスケットボール部に所属。 2013年、熊本ヴォルターズに移籍。2014-15シーズンは31試合に出場。 2015年、リンク栃木ブレックスに移籍。
小林 慎太郎(こばやし しんたろう、1985年〈昭和60年〉… 小林 慎太郎(こばやし しんたろう、1985年〈昭和60年〉6月29日 - )は、日本のプロバスケットボール選手。熊本県熊本市出身。現役時代のポジションはシューティングガード。 小林高校から東海大学に進む。一年生からスタメンになり、活躍した。インカレ2連覇を経験する。 卒業後の2008年、パナソニックに入社、バスケットボール部に所属。 2013年のパナソニック休部後は自由契約となった後、地元で新たに立ち上がる熊本ヴォルターズに移籍。 2021年8月16日、2020-21シーズン限りでの現役引退を発表。10月10日に引退セレモニーが開催され、熊本ヴォルターズより背番号7を永久欠番とすることが発表された。
堀 研二郎(ほり けんじろう、1985年〈昭和60年〉1月3… 堀 研二郎(ほり けんじろう、1985年〈昭和60年〉1月30日 - )は、日本の政治家。宮崎県小林市長(1期)。元小林市議会議員(1期)。元小林市長の堀泰一郎は伯父に当たる。 宮崎県小林市出身。宮崎県立小林高等学校を経て、2007年に東京農業大学を卒業。卒業後、日本レストランシステム株式会社に就職するが退職。有機農法を学んだ後、2011年に小林市にUターンし、有機農場を起業。 2022年4月17日投開票の小林市議会議員補欠選挙に立候補するが、次点で落選。翌2023年4月23日投開票の同市議会議員選挙で初当選を果たす(1期、市長選挙立候補に伴い2026年4月12日付けで失職)。 1期目の途中、任期満了に伴う小林市長選挙に立候補し、3期目を目指す現職の宮原義久と一騎打ちの結果、初当選を果たした。
新原 茜(にいはら あかね、1984年4月13日 - )は、… 新原 茜(にいはら あかね、1984年4月13日 - )は、宮崎県出身の元バスケットボール選手である。ニックネームは「アカネ」。ポジションはガード。 小学校でミニバスケを始め、小林中学校から小林高校を経て、ジャパンエナジーに入社。 ルーキーシーズンよりシックスウーマンとしてチームを支えている。 田中利佳の引退後、新主将に就任。
瀬戸山 京介(せとやま きょうすけ、1982年7月16日 -… 瀬戸山 京介(せとやま きょうすけ、1982年7月16日 - )は、宮崎県日南市出身のバスケットボール選手である。2005年にアイシンシーホースに入部、2009年にはbjリーグの京都ハンナリーズと契約してプロ選手になり、2016年に引退した。 現役最後のシーズンとなった2015-16シーズン時点での身長187cm、体重76kgで、ポジションはガード、フォワードだった。 吾田中学校から小林高校に進学。1学年上には清水太志郎がいた。3年次に主将として挑んだインターハイ決勝で長澤晃一、新井靖明、山田謙治擁する能代工業に、ウィンターカップで志村雄彦、佐藤濯、宍戸治一擁する仙台高校と対戦したが、共に準優勝で終わった。
清水 太志郎(しみず たいしろう、1981年8月6日 - )… 清水 太志郎(しみず たいしろう、1981年8月6日 - )は、宮崎県日南市出身の元男子プロバスケットボール選手、現バスケットボール指導者である。現役時代のポジションはポイントガード、シューティングガード。 8歳でバスケットボールを始める。 日南市立吾田中学校から宮崎県立小林高等学校に進学し、3年生時の1999年、全国高等学校総合体育大会バスケットボール競技大会(インターハイ)でベスト8、全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会(ウインターカップ)では準優勝。 2000年、筑波大学に進学。2004年、日本リーグの大塚商会アルファーズに入団。 2005年、bjリーグ発足に当たりトライアウトに参加。
北郷 謙二郎(ほんごう けんじろう、1980年7月3日 - … 北郷 謙二郎(ほんごう けんじろう、1980年7月3日 - )は、宮崎県出身のバスケットボール選手。ポジションはG。身長183cm、体重75Kg。田臥世代の一人。 父は元延岡学園高等学校監督でbjリーグ・宮崎シャイニングサンズHCも務めた北郷純一郎。兄・慎太郎も三井住友銀行のバスケットボール選手である。 小林高校ではインターハイベスト8・ウィンターカップベスト4を経験。年代別全日本にも選ばれる。 1999年、カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校に渡米。NCAA2部で活躍。 卒業後に帰国し、オーエスジーに入社。2005-06シーズンにはスーパーリーグ準優勝に貢献。 2006年世界選手権では日本代表候補に選ばれるも本大会からは漏れた。
大萩 康司(おおはぎ やすじ、1978年4月7日 - )は、… 大萩 康司(おおはぎ やすじ、1978年4月7日 - )は、日本のギタリスト。宮崎県小林市出身。 9歳より母の手ほどきでギターを始める。その後、萩原博、中野義久、福田進一に師事。宮崎県立小林高等学校卒業後の1997年、フランス・パリのエコールノルマル音楽院へ留学。翌年の1997年、パリのコンセルヴァトワールに首席で入学。1998年、ハバナ国際ギターコンクールにて2位受賞。同時に「レオ・ブローウェル作品最優秀演奏賞」を獲得。2000年9月21日、「11月のある日」でCDデビュー。その後は国内外での数々のリサイタルに出演。チェロ奏者・趙静とのライヴでの共演や、アルバムのリリースも行っている。2004年、ホテルオークラ音楽賞を受賞。
榎木 和貴(えのき かずたか、1974年6月7日 - )は日… 榎木 和貴(えのき かずたか、1974年6月7日 - )は日本の陸上競技選手、陸上競技指導者。専門は長距離走。宮崎県出身。宮崎県立小林高等学校、中央大学卒業。旭化成、沖電気を経てトヨタ紡織に所属し、同社陸上競技部コーチを経て、監督を務める。2019年2月1日より創価大学陸上競技部駅伝部監督に就任。身長176cm、体重57kg(現役当時)。息子の榎木真央は元陸上競技選手で、創価大学4年時に陸上競技部の主務を務めた。兄の榎木祐介は元トライアスロン選手で、甥(兄の息子)の榎木凜太朗は陸上競技選手(創価大学在学中)。 剣道での足腰鍛錬のため、日々のジョギングから陸上に目覚め、中学時代から長距離のエースとして全国大会で活躍。
楠田 香穂里(くすだ かおり、1974年5月29日 - )は… 楠田 香穂里(くすだ かおり、1974年5月29日 - )は、宮崎県出身の元女子バスケットボール選手・指導者である。旧姓川上。ニックネームは「サン」。ポジションはポイントガード。 唐瀬原中でバスケを始め、小林高校を経てジャパンエナジーに入社。 チームの主力として長き渡り活躍し、JOMO黄金時代に多大に貢献。 また、全日本のメンバーにも選ばれ1998年、2002年の世界選手権など国際大会にも出場。1998年アジア大会では金メダルを獲得した。 2003年5月に結婚。 2004年にはアテネ五輪に唯一の既婚者として選ばれる。この時点で一度引退を撤回し、同大会を最後に現役引退。 2010年共栄大学女子バスケットボール部監督に就任。
井料 瑠美(いりょう るみ、1967年4月3日 - )は、日… 井料 瑠美(いりょう るみ、1967年4月3日 - )は、日本の女優。宮崎県小林市出身。宮崎県立小林高等学校卒業、大東文化大学文学部中国文学科中退。大学に通いながらミュージカルを舞台芸術学院にて学ぶ。株式会社ジェー・ピー所属。 大学時代の同級生にミュージカル俳優の岡幸二郎がいる。 高校時代に劇団四季の『エルリックコスモスの239時間』(現『エルコスの祈り』)を観て女優を志す。 1989年、劇団四季に入団。初舞台はストレートプレイ『間奏曲』のジルベルト役。在団中は多くの作品でヒロインを演じた。95年から3年間『オペラ座の怪人』のクリスティーヌと『美女と野獣』のベルのみを演じた。その他の代表作に『壁抜け男...恋するモンマルトル』イザベル、『アスペクツ・オブ・ラブ』ジュリエッタ・トラパーニ、『ウエストサイド物語』マリアなど。
園田 佳巨(そのだ よしみ、1962年 - )は、日本の工学… 園田 佳巨(そのだ よしみ、1962年 - )は、日本の工学者。九州大学理事・副学長・教授。専門分野は構造工学。 2012年時点で、九州大学工学部地球環境工学科建設都市工学コースのコース長を務めた。2023年現在は、九州大学工学研究院長・工学府長・工学部長を経て理事・副学長を務める。 宮崎県立小林高等学校を経て、1985年九州大学工学部土木工学科卒業。1987年九州大学大学院工学研究科土木工学専攻修了、戸田建設入社。1989年防衛大学校助手。1994年5月23日、「エネルギー基準による落石覆工の安全性照査に関する研究」により九州大学から博士(工学)を取得する。同年カリフォルニア大学サンディエゴ校留学。
竹山 とよ子(たけやま とよこ、1961年12月19日 - … 竹山 とよ子(たけやま とよこ、1961年12月19日 - )は、日本の元女子バスケットボール選手である。現姓永田(ながた)。宮崎県出身。 宮崎県立小林高等学校では2年次の選抜大会、3年次のインターハイ・国体いずれも初優勝。 卒業後は共同石油に所属し、日本リーグルーキ・オブ・ザ・イヤーを獲得。1981-82シーズンにはMVPも獲得。 全日本にも選ばれ、オリンピック・世界選手権はかなわなかったものの1986年アジア競技大会に出場。 引退後は母校である小林高校でアシスタントコーチを務める。 日本人初のWNBAプレイヤーである萩原美樹子が憧れの選手として挙げていたことで知られる。
片平 夏貴(かたひら なつき、本名:片平 貴美代(かたひら … 片平 夏貴(かたひら なつき、本名:片平 貴美代(かたひら きみよ)、1961年12月10日 - )は、タレント、フリーアナウンサー。宮崎県えびの市出身。宮崎県立小林高等学校卒業。
斉藤 慶子(さいとう けいこ、1961年〈昭和36年〉7月1… 斉藤 慶子(さいとう けいこ、1961年〈昭和36年〉7月14日 -)は、日本の女優・タレント、元グラビアモデル・元歌手。宮崎県小林市出身。前夫との間に娘1人(現CBCアナウンサーの中村彩賀)。所属は太田プロダクション。みやざき大使。 大学在学中の1981年7月、熊本市内でスカウトされ、そのマネージャーに勧められ、1982年、日本航空「JAL沖縄キャンペーンガール」に応募し、約800人の応募者の中から選ばれた。これにより芸能界入りして熊本大学教育学部心理学専攻を中退し、上京。大学の先輩でもある「宮崎美子2世」とも呼ばれグラビアモデルで活動、歌手デビューもした。1983年、映画に初出演。 1995年、前年の映画「東雲楼 女の乱」の演技により第18回日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞。
井川原 賢(いがわはら まさる、1960年〈昭和35年〉9月… 井川原 賢(いがわはら まさる、1960年〈昭和35年〉9月7日 - )は、日本の外交官。 アジア大洋州局中国・モンゴル第一課地域調整官、在青島総領事などを経て、2023年10月から駐モンゴル大使を務める。 宮崎県えびの市出身。宮崎県立小林高等学校を卒業。
谷口 浩美(たにぐち ひろみ、男性、1960年4月5日 - … 谷口 浩美(たにぐち ひろみ、男性、1960年4月5日 - )は、元男子マラソン選手、指導者。宮崎県南那珂郡南郷町(現日南市)出身。宮崎県立小林高等学校-日本体育大学体育学部体育学科卒。TOSS PLANNING所属。東京電力長距離・駅伝チーム監督、東京農業大学陸上競技部助監督を歴任し、現在は宮崎大学特別教授。 マラソンの自己最高記録は 2時間7分40秒(1988年・北京国際マラソン)で、日本男子歴代19位。 中学時代は駅伝部に所属しつつ、短距離など他の陸上種目にも勤しみ、走高跳や棒高跳などでも才能をみせていた。 小林高校に進学し、1976年-1978年の全国高等学校駅伝競走大会(全国高校駅伝)に3年連続出場、1年次は区間14位と不本意な走りに終わったが、2-3年次はいずれも区間2位の成績で同校の2連覇に貢献した。
銀色 夏生(ぎんいろ なつを、1960年3月12日 - )は… 銀色 夏生(ぎんいろ なつを、1960年3月12日 - )は、日本の女性詩人、随筆家、作詞家、写真家。 1960年、宮崎県えびの市に生まれる。えびの市立真幸小学校、えびの市立真幸中学校、宮崎県立小林高等学校、埼玉大学教養学部を卒業。 1982年に作詞家として活動を開始し、翌1983年に沢田研二の「晴れのちBLUE BOY」を作詞した。その後も大沢誉志幸の「そして僕は途方に暮れる」「ゴーゴーヘブン」や、2011年度NHK全国学校音楽コンクール課題曲「僕が守る」 などを作詞した。また、山本みき子・山元みき子(やまもと みきこ)名義で太田裕美に歌詞を提供している。 1985年に第1詩集『黄昏国』を河出書房新社より刊行。
古城十忍(こじょう としのぶ、1959年 - )は日本の劇作… 古城十忍(こじょう としのぶ、1959年 - )は日本の劇作家・演出家。宮崎県小林市出身。東京都在住。本名、古城俊伸。 1959年、宮崎県小林市生まれ。宮崎県立小林高等学校、熊本大学法文学部法科卒業。 熊本日日新聞政治経済部記者を経て、1986年、劇団一跡二跳を結成。 2005年文化庁新進芸術家派遣にてロンドン及びスコットランドに200日間留学。 2008年7月同劇団を解散。 2009年、劇団ワンツーワークスを結成。 社団法人日本劇団協議会専務理事。新国立劇場演劇研修所講師。日本劇作家協会理事。
岡村 隆(おかむら たかし、1948年 - 2025年7月9… 岡村 隆(おかむら たかし、1948年 - 2025年7月9日)は日本の探検家、作家、編集者。NPO法人南アジア遺跡探検調査会理事長、第23回植村直己冒険賞受賞。 1948年、宮崎県小林市に生まれる。宮崎県立小林高校を経て、1972年に法政大学文学部日本文学科を卒業する。在学中は探検部で活動し、1969年、独立直後で鎖国状態のインド洋モルディブへ特例で入国、日本人初の長期滞在者となり、半年間の民俗調査ののちスリランカの密林遺跡探検に転じる。大学卒業後は著述業や東海教育研究所の月刊誌『望星』編集長などの本業の傍ら、法政大学探検部などを母体に探査隊を組織して、これまでに同国で約250カ所、モルディブで11カ所の遺跡を発見、調査する。
菊村 憂(きくむら ゆう、1947年 - )は、日本赤軍のテ… 菊村 憂(きくむら ゆう、1947年 - )は、日本赤軍のテロリスト。宮崎県出身、宮崎県立小林高等学校卒、東京外国語大学中退。 1974年に渡欧、ギリシャのアテネで書店を経営し、現地の日本人会にも溶け込んでいた。その傍ら1980年代に日本赤軍が拠点を置いていたレバノン・ベカー高原で軍事訓練を受けており、爆弾製造技術を持っていたため、他の訓練参加者にその技術を教える立場でもあったとされる。 1986年にオランダのスキポール空港で荷物の中に爆弾が発見され逮捕。国外追放処分となって日本に送還されたが、細かい規定のため結局釈放された。 1988年4月12日、米ニュージャージー・ターンパイク有料高速道路のサービスエリアで、菊村を挙動不審に思った州警察官によって逮捕された。
東 治男(ひがし はるお、1945年7月5日 - )は、元宮… 東 治男(ひがし はるお、1945年7月5日 - )は、元宮崎放送アナウンサー。宮崎県西諸県郡高原町出身。 宮崎県立小林高等学校、日本大学芸術学部卒、1968年4月宮崎放送に入社。中学・高校・大学とずっと放送部に所属していた。 2001年に報道部副部長を最後に宮崎放送を退社し、無所属、民主党・社会民主党推薦で参議院議員選挙に宮崎県選挙区から出馬するも次点で落選した。2007年の参院選に6年ぶりに立候補したが第3位で落選した。自身が障害者であることから、ボランティアグループ「宮崎わたぼうし会」の会長を務める(この時に読売新聞社福祉賞を受賞している)など、ボランティア活動にも昔から造詣が深い。この他、自然保護観察指導員も務めていたことがある。
黒木 国昭(くろきくにあき、1945年 - )は、宮崎県須木… 黒木 国昭(くろきくにあき、1945年 - )は、宮崎県須木村(現・小林市)生まれのガラス工芸作家。 宮崎県立小林高等学校卒業と同時に、ガラス会社に就職し、ガラスの道に入る。1974年より創作活動を開始し、1977年国家ガラス製品製造技能士一級を取得。 1989年に宮崎県東諸県郡綾町にグラスアート宮崎綾工房を創設(現:グラスアート黒木)。1991年、国の卓越技能者「現代の名工」を受賞。
志垣 澄幸(しがき すみゆき、1934年3月14日 - )は… 志垣 澄幸(しがき すみゆき、1934年3月14日 - )は、日本の歌人。現代歌人協会会員。 台湾台北州台北市生まれ。敗戦後に引き揚げて、母の故郷である宮崎県西都市妻に移住。宮崎大学教育学部卒業後、教職に就く。宮崎県立小林高等学校、宮崎県立宮崎大宮高等学校など県内の公立中高校に勤務。退職後も私立高校に勤め、宮崎第一高等学校校長。 20代で個人誌「丸木舟」を創刊、一人で作歌していた。やがて仲間を得て同人誌に拠るが、1968年に「原型」に入会し斎藤史に師事する。1976年には発起人の一人として、伊藤一彦や浜田康敬らとともに現代短歌南の会を結成する。吉川宏志は宮崎大宮高校時代の教え子であり、京都大学に進学するにあたって永田和宏に紹介状を書いた。
八反 ふじを(はったん ふじを、1925年1月14日 - 1… 八反 ふじを(はったん ふじを、1925年1月14日 - 1975年4月7日)は、宮崎県小林市出身の作詞家。 宮崎県小林市内にある老舗金物問屋「八反金物店」の長男として生まれる。幼いころ母を亡くし寂しい少年時代を過ごした。地元の小林高校を卒業後、父・留男の奨めもあり、医師を目指し上京、日本大学医学部に進んだ。太平洋戦争の最中ではあったが、医学生のため徴兵が猶予されていた。1945年3月10日の東京大空襲では医学生として負傷者の手当および遺体の収容作業に動員され、悲惨な光景を目の当たりにしている。終戦直前に召集令状が届き、本土決戦に備え満州から小林町に移駐してきていた山砲連隊に軍医として入営するも程なく終戦となり、部隊が連合軍と交戦することはなかった。
松形 祐堯(まつかた すけたか、1918年2月26日 ‐ 2… 松形 祐堯(まつかた すけたか、1918年2月26日 ‐ 2007年8月23日)は、日本の政治家、官僚。 宮崎県知事(公選第10‐15代)、林野庁長官を歴任。 宮崎県えびの市出身。宮崎県立小林中学校(現・宮崎県立小林高等学校)、鹿児島高等農林学校(現・鹿児島大学農学部)、九州帝国大学農学部卒業。1942年農林省に入省。林野庁長官などを歴任後、1976年の参議院議員補欠選挙に宮崎県選挙区から自由民主党公認で立候補したが落選。1979年当時の宮崎県知事黒木博の任期途中での辞職により同県知事選に立候補し当選、2003年まで宮崎県知事を6期務めた。6期目では全国で最高齢の知事であった。2004年旭日大綬章受章。
森永 貞一郎(もりなが ていいちろう、1910年9月9日 -… 森永 貞一郎(もりなが ていいちろう、1910年9月9日 - 1986年5月30日)は日本の大蔵官僚、銀行家。元大蔵事務次官、第5代東京証券取引所理事長、第23代日本銀行総裁。 妻は南洋庁長官・田原和男の長女で若槻禮次郎元首相の孫娘に当たる。 宮崎県小林市出身。父・貞右衛門は町会議員・商工会長などを務めた。宮崎・小林中学、第五高等学校を経て、1932年に東京帝国大学法学部を卒業。同年、大蔵省に入省。主税局属。戦時中は理財局金融課長や理財局証券課長、総合計画局参事官、大臣官房文書課長等を歴任し、戦後は経済安定本部総裁官房次長、長沼弘毅次官の下で大臣官房長を務め、1953年8月に主計局長、1957年5月に大蔵事務次官に就任。