スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
木本 大地(きもと だいち、2000年4月29日 - )は、… 木本 大地(きもと だいち、2000年4月29日 - )は、日本の陸上競技選手。茨城県つくば市出身。東洋大学経済学部総合政策学科卒業。小森コーポレーション所属。 つくば市立大穂中学校、東洋大学附属牛久高等学校、東洋大学出身。2022年東洋大学駅伝主将の前田義弘は高校時代からの同期である。 3年時の第98回箱根駅伝で三大駅伝デビューを飾ったが、4区で区間18位という成績に終わった。 4年時の第99回箱根駅伝では8区を担当。襷を受け取った時点では10位とは1分45秒の差が開いていたが、前半は抑えて後半に上げる走りで10位と33秒差の11位に浮上。個人では法政大学の宗像直輝と同タイムで区間賞を獲得した。
瀧澤 修平(たきざわ しゅうへい、1993年7月19日 - … 瀧澤 修平(たきざわ しゅうへい、1993年7月19日 - )は、茨城県出身のプロサッカー選手。関東サッカーリーグ・ジョイフル本田つくばFC所属。ポジションは、ディフェンダー(DF)。 つくばFC、東洋大学附属牛久高校を経て、東洋大学へ進学。 2016年より、FC琉球へ加入。 2018年12月、水戸ホーリーホックへの完全移籍が発表された。 2021年、モンテディオ山形に期限付き移籍。シーズン末にはモンテディオ山形への期限付き移籍満了、水戸ホーリーホックからも契約期間の満了が発表。同年12月9日には、フクダ電子アリーナで行われたJリーグ合同トライアウトに出場した。 2022年、テゲバジャーロ宮崎へ完全移籍。
青木 祐樹(あおき ゆうき、1992年2月23日 - )は、… 青木 祐樹(あおき ゆうき、1992年2月23日 - )は、ジャパンラグビーリーグワンクボタスピアーズ船橋・東京ベイに所属するラグビー選手。 高校からラグビーを始めた。 2010年、東洋大牛久高校卒業後、日本体育大学に入る。なお東洋大牛久高校時代、主将を務めたことがある。 2014年、日本体育大学卒業後、クボタスピアーズ(現・クボタスピアーズ船橋・東京ベイ)に加入。 2015年11月21日に行われたジャパンラグビートップリーグ第2節のサントリーサンゴリアス戦にて先発出場で公式戦初出場を果たす。
野口 啓代(のぐち あきよ、1989年5月30日 - )は、… 野口 啓代(のぐち あきよ、1989年5月30日 - )は、茨城県龍ケ崎市出身の日本のスポーツクライマー。夫はスポーツクライマーの楢﨑智亜。 東洋大学附属牛久高等学校、東洋大学ライフデザイン学部健康スポーツ学科を中退。身長:165cm、体重:49kg。 ワールドカップ優勝は通算21勝を数え、「日本クライミング界の女王」と呼ばれる。 2000年、小学校5年生の夏に家族旅行で訪れたグアムのゲームセンターでフリークライミングを体験する。帰国後もクライミングへの興味を持ち続け、自宅近くのつくば市にオープンしたばかりのPUMPスポーレクライミングジムに通いはじめる。小学校から中学校に進学する期間の春休みに開催された全日本ユース選手権では中高生を押しのけて優勝。
近藤 広幸(こんどう ひろゆき、1975年8月6日 - )は… 近藤 広幸(こんどう ひろゆき、1975年8月6日 - )は、日本の実業家。マッシュグループの創業者、株式会社マッシュホールディングス代表取締役社長。茨城県牛久市出身。 1975年生まれ。バンタンデザイン研究所 空間デザイン学科卒業後、建築空間デザイナー、エディター、グラフィックデザイナー、CGアニメーションディレクターを経て、1998年、CG制作を行う「スタジオ・マッシュ」を設立。 1999年に株式会社マッシュスタイルラボに社名変更。 2005年よりファッション事業に参入し、同年にアパレルブランド「snidel (スナイデル/現:SNIDEL)」、2008年にルームウェアブランド「gelato pique(ジェラート ピケ)」を立ち上げる。
多賀竜 昇司(たがりゅう しょうじ、1958年(昭和33年)… 多賀竜 昇司(たがりゅう しょうじ、1958年(昭和33年)2月15日 - )は、茨城県日立市出身(本籍地は北茨城市)で鏡山部屋に所属した元大相撲力士。本名は黒谷 昇(くろたに のぼる)。最高位は西関脇(1983年(昭和58年)11月場所)。現役時代の体格は178cm、139kg。得意手は右四つ、寄り、上手出し投げ。 現在は、年寄・鏡山として追手風部屋に所属。 日立市立成沢小学校時代はあまりにも元気がありすぎて、5年生の時にサッカーのゴールポストで逆上がりしてポストごと倒れ、顔に17針も縫う傷を負ったこともあるという。 日立市立多賀中学校では野球部に所属し、捕手でキャプテンを務めた。野球の腕を買われて東洋大学附属牛久高等学校への入学が一旦決定したが、経済的な事情で断念。
鶴岡 昌宏(つるおか まさひろ、1957年5月6日 - )は… 鶴岡 昌宏(つるおか まさひろ、1957年5月6日 - )は、元アマチュア野球選手である。ポジションは外野手。 東洋大牛久高校を卒業した後に、東洋大学に入学する。在学中は投手のほかに外野手としても中軸を打った。2年上に達川光男、1年上に松沼雅之らがいた。 大学卒業後は社会人野球の日産自動車チームに入団する。当初は投手も兼ねていたが外野手専任となる。1982年の日本選手権大会と1990年の日本選手権大会では優秀選手に選ばれ、1990年には社会人ベストナインに選ばれた。また1991年の都市対抗野球では10年連続出場選手に選ばれれ、通算11年連続出場を果たした。1992年限りで現役を引退し、翌年はコーチを務めた。
菊地 恭一(きくち きょういち、1954年12月26日 - … 菊地 恭一(きくち きょういち、1954年12月26日 - )は、茨城県稲敷郡江戸崎町(現・稲敷市)出身の元プロ野球選手(外野手)。右投げ右打ち。 東洋大牛久高では、1972年夏の県大会を勝ち抜き、東関東大会準決勝に進む。先発投手として銚子商業高の根本隆と投げ合うが惜敗した。 高校卒業後は、社会人野球の東芝に入社した。都市対抗野球に出場し、社会人ベストナインにも2度選出される。1978年の都市対抗野球では3本塁打を放ち、チームの優勝に貢献した。同年のプロ野球ドラフト会議でロッテオリオンズから2位指名を受けるが入団を拒否し、チームに残留した。この時の3位指名が落合博満だったが、社会人時代は東芝府中所属だった落合よりも菊地の方が評価が高かった。
濱口 和明(はまぐち かずあき、1954年5月17日 - )… 濱口 和明(はまぐち かずあき、1954年5月17日 - )は、日本出身のサッカー選手・指導者・審判員。ポジションはフォワード(右ウイング)。 大学2年時に当時日本サッカーリーグ(JSL)2部の読売クラブ(現東京ヴェルディ)に加入。1978年のJSL1部昇格に貢献し、1985年に引退するまで13年間所属した。JSL1部での通算記録は50試合出場8得点3アシスト。 引退後は読売クラブおよびヴェルディ川崎でトップチームや下部組織のコーチを歴任。1996年にJFA 公認S級コーチライセンスを取得した。 審判員としても活動した。1989年に1級審判に昇格し、日本サッカーリーグおよびJリーグで10年以上にわたり線審および副審を務めた。
金井 元三(かない もとみ、1949年5月14日 - )は、… 金井 元三(かない もとみ、1949年5月14日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(外野手)。 東洋大牛久高校から、1967年にドラフト外でサンケイアトムズへ入団。 1970年、5試合に右翼手、左翼手として先発出場。同年にはジュニアオールスターゲームにも選出、イースタン・リーグベストナイン。しかし、その後は一軍での出場機会に恵まれず、1971年限りで引退した。