中野 正昭(なかの まさあき、1971年 - )は、日本の演… 中野 正昭(なかの まさあき、1971年 - )は、日本の演劇・芸能研究家。 福岡県生まれ。明治大学大学院文学研究科演劇学専攻博士後期課程単位取得退学(曽田秀彦に師事)。博士(文学)。専門は、日本近現代演劇・演劇世相史・大衆文化論。 早稲田大学坪内博士記念演劇博物館・助手を経て同博物館・招聘研究員。明治大学、神田外語大学、埼玉学園大学、立教大学、早稲田大学他の非常勤講師を経て淑徳大学人文学部表現学科教授。 2023年3月、『ローシー・オペラと浅草オペラ 大正期翻訳オペラの興行・上演・演劇性』で令和4年度(第73回)芸術選奨文部科学大臣賞(評論等部門)受賞。5月、同書にて第1回音楽本大賞個人賞受賞。
加藤 真史(かとう まさし、1970年9月7日 - )は、日… 加藤 真史(かとう まさし、1970年9月7日 - )は、日本の劇作家、演出家、音楽音響家で、ユニット「演劇/微熱少年」を主宰する。江原河畔劇場芸術学校「無隣館」4期演出部修了[要出典]。日本劇作家協会会員。 群馬県沼田市に生まれる。高校時代からプロのミュージシャンとして活動。 1993年に劇団無人劇場の公演『詩とアクセル』の音楽音響を担当したことを皮切りに演劇活動にかかわり、1995年に劇団無人劇場を改組する形で劇団咲街が発足すると、劇作や演出も担当した。 2017年、平田オリザの講演会とワークショップを契機に発足した邑楽町民劇団に、企画・制作・劇作・演出・音楽音響として参加した。この参加は一時期離れていた演劇活動への復帰でもあった。
渡邊 雅之(わたなべ まさゆき、1957年6月9日 - )は… 渡邊 雅之(わたなべ まさゆき、1957年6月9日 - )は、日本の演劇(舞台・ミュージカル)制作者である。 株式会社劇団ポプラ全国ツアー公演の渡邊雅之が運営管理担当した作品。
小野幸恵(おの さちえ、1954年(昭和29年) - )は、… 小野幸恵(おの さちえ、1954年(昭和29年) - )は、日本の演劇・芸能評論家。 東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒業。出版社勤務を経てフリー編集者となり、書籍やインタビュー記事の企画・構成に携わる。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
高萩 宏(たかはぎ ひろし、1953年 - )は、日本の演劇… 高萩 宏(たかはぎ ひろし、1953年 - )は、日本の演劇制作者、アーツ・マネジメント研究者で、世田谷文化生活情報センター館長(世田谷パブリックシアター館長)、東京芸術劇場の元副館長。全国公文協常務理事、多摩美術大学美術学部客員教授。東京芸術祭事務局長。 東京都生まれ。1977年東京大学文学部卒業。米国コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジ アーツ・アドミニストレーション学科中退。 東大在学中の1976年、野田秀樹らと共に劇団夢の遊眠社を設立。1978年4月紀伊国屋書店入社。1981年3月末に紀伊国屋書店を退社し、夢の遊眠社の制作活動に専念する。 1988年4月、東京グローブ座オープニングフェスティバルをコーディネート89年夢の遊眠社から独立し、高萩事務所を設立。
高田 和文(たかだ かずふみ、1951年 - )は、日本のイ… 高田 和文(たかだ かずふみ、1951年 - )は、日本のイタリア演劇・イタリア文化研究者。静岡文化芸術大学名誉教授。公益財団法人日伊協会副会長。 北海道士別市出身。1974年東京外国語大学イタリア語科卒、1980年同大学院外国語学研究科ロマンス系言語専攻修士課程修了。イタリア・ナポリ東洋大学日本語学科講師(1983年)、在イタリア日本大使館専門調査員(1989年~1991年)、NHK教育テレビイタリア語会話講師(1992年~1994年)、NHKラジオイタリア語講座講師(1995年~1998年、2003年)、国際交流基金ローマ日本文化会館館長(2007年~2010年)を歴任した。2000年~2017年、静岡文化芸術大学教授、2014年~2017年同副学長。
藤田富士男(ふじた ふじお、1949年8月27日 - )は、… 藤田富士男(ふじた ふじお、1949年8月27日 - )は、日本の演劇研究家、作家。 1949年、熊本県人吉市に生まれる。熊本県立人吉高等学校・中央大学(文学部ドイツ文学科)・明治大学(文学部国文学科)を経て、法政大学大学院博士課程単位取得(人文学科学研究科・日本文学専攻)。1980年より1年半、メキシコ国立自治大学に留学。 法政大学非常勤講師・明治大学非常勤講師を経て、不二女子高等学校在職中の1989年、『ビバ!エル・テアトロ!炎の演出家佐野碩の生涯』を出版。以後、埼玉短期大学(助教授)、相模女子大学(講師)。 1997年「佐野碩シンポジウム」参加(メキシコ市)。1998年「国際演劇学会」参加(メキシコ-プエブラ市)。
中山 幹雄(なかやま みきお、1949年(昭和24年)5月8… 中山 幹雄(なかやま みきお、1949年(昭和24年)5月8日 - 2002年(平成14年)12月26日)は、日本の演劇研究家・脚本家・美術評論家(専門は浮世絵・現代日本絵画)・学習院大学非常勤講師(2001年当時)。東京都深川・白河町生まれ。日本文芸家協会、日本演出者協会、美術評論家連盟各会員。鶴屋南北研究会・江戸深川文学会各代表を務めた。詩や美術評論も書いた。
萩尾 瞳(はぎお ひとみ、1949年3月13日 - )は、… 萩尾 瞳(はぎお ひとみ、1949年3月13日 - )は、映画・演劇・ミュージカル評論家。 福岡県生まれ。同志社大学文学部英文科卒業。日本映画ペンクラブ、国際演劇批評家協会会員。 1971年、西日本新聞社(編集局)入社、経済部、社会部記者歴任。1978年西日本新聞社退社、フリーの映画・演劇評論家となる。 月刊ミュージカル誌、キネマ旬報、読売新聞などに連載を持ち、読売演劇大賞選考委員の顔も持つ。2002年から2010年まで早稲田大学第二文学部非常勤講師。2012年から昭和音楽大学非常勤講師。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
山之内 重美(やまのうち しげみ、本名:上杉重美、旧芸名:山… 山之内 重美(やまのうち しげみ、本名:上杉重美、旧芸名:山之内滋美、1948年8月4日 - ) は、日本の歌手、女優、ロシア演劇・ロシア大衆歌謡ピェースニャ研究家である。 京都府京都市出身、大阪外国語大学ロシア語学科、早稲田大学大学院文学研究科ロシア文学専修卒。関西芸術座、劇団三十人会、表現劇場に参加。吉田名保美事務所、中村企画(社長中村敦夫)を経て現在フリー。 在学中より演劇に惹かれ、女優を目指す(代表作参照)。ロシア語のできる女優は日本では少なく、他に栗原小巻が知られている程度である。ロシア演劇研究家としてはスターリンに粛清された悲劇の演出家メイエルホリドを永年のテーマとし、メイエルホリドの孫娘であり生涯をかけて祖父の名誉回復に尽力したマリヤとの深い親交があった。
秋葉 裕一(あきば ひろかず、1947年11月27日 - )… 秋葉 裕一(あきば ひろかず、1947年11月27日 - )は、日本のドイツ文学者、演劇研究家。早稲田大学名誉教授。 秋田県に生まれる。1966年福岡県立修猷館高等学校卒業、1971年早稲田大学第一文学部卒業、1973年同大学大学院文学研究科修士課程独文専攻を修了し第一文学部助手となり、1976年同大学大学院文学研究科博士課程独文専攻単位取得満期退学。 1976年4月早稲田大学理工学部専任講師となり、1979年4月から1981年3月まで西ドイツケルン大学文学部に留学。帰国後、1981年4月早稲田大学理工学部助教授となり、1989年4月同教授に就任する。劇作家ベルトルト・ブレヒトの研究で知られる。
九條 今日子(くじょう きょうこ、1935年10月22日 -… 九條 今日子(くじょう きょうこ、1935年10月22日 - 2014年4月30日)は、日本の女優、演劇、映画プロデューサー。東京都麻布出身。女優時代の芸名は九条映子(九條映子)。本名:寺山 映子(てらやま えいこ)。1963年から1970年まで寺山修司と婚姻関係にあった。
田辺 明雄(たなべ あきお、1930年11月8日 - 200… 田辺 明雄(たなべ あきお、1930年11月8日 - 2002年12月4日)は、演劇・文芸評論家。 大阪府出身。大阪大学文学部仏文科卒、同大学院中退。文学者を目ざして小説や評論を書いたがものにならず、競艇場の管理人をして糊口をしのぐ。のち箕面市役所に勤務したが競艇場の管理はかわらなかった。1976年『真山青果』で毎日出版文化賞。関西文学賞特別賞受賞。劇作も行った。
藤波 隆之(ふじなみ たかゆき、1930年 - )は、日本の… 藤波 隆之(ふじなみ たかゆき、1930年 - )は、日本の演劇研究家。 東京生まれ。1953年東北大学文学部国史学科卒業。藤波小道具勤務の後、国立劇場理事、日本芸術文化振興会理事、青山学院大学、放送大学講師など。日本演劇協会監事、国際演劇協会日本センター理事。1988年『近代歌舞伎論の黎明』で河竹賞受賞。
廓 正子(かまえ まさこ、1929年 - )は、演劇・演芸評… 廓 正子(かまえ まさこ、1929年 - )は、演劇・演芸評論家。元産経新聞社大阪文化部記者・編集委員。 大阪市生まれ。樟蔭女子専門学校(現・大阪樟蔭女子大学)国文科卒業後、産経新聞社入社。大阪文化部で古典芸能や宝塚歌劇など舞台を中心とした記事に携わる。司馬遼太郎とは文化部の同僚であった。 演劇・演芸評論家として雑誌・新聞などに多数の評を執筆。書籍や各種パンフレットなどの執筆、大阪市文化財保護審議会委員、大阪文化祭賞選考委員、人形浄瑠璃因協会理事、文化庁芸術選奨(演劇部門・古典芸能部門・大衆芸能部門・舞踊部門)選考委員なども務める。
内垣 啓一(うちがき けいいち、1925年(大正14年)12… 内垣 啓一(うちがき けいいち、1925年(大正14年)12月20日 - 1989年(平成元年)8月17日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家、演劇・音楽評論家、舞台演出家、オペラ演出家。東京大学名誉教授。 京都府京都市に生まれる。京都第一中学校(旧制)、第一高等学校(旧制)を経て、1950年(昭和25年)京都大学文学部ドイツ文学科卒。1951年(昭和26年)に東京大学教養学部助手となり、1953年(昭和28年)戦後初めてのドイツ学術交流会招聘留学生としてハンブルクにおいて研究を続け、以後ドイツ文学、ドイツ演劇、比較文学、比較演劇の講師、助教授、教授を務め、1986年定年退官。 ドイツ文学のエキスパートとして古典から現代までの数多くの文学作品や戯曲を翻訳し出版しているのみならず、研究領域はドイツ演劇に加え、ドイツオペラから新劇や伝統芸能に至るまで舞台芸術全般に及んだ。
北見 治一(きたみ はるかず、1920年〈大正9年〉7月30… 北見 治一(きたみ はるかず、1920年〈大正9年〉7月30日 - 1995年〈平成7年〉10月23日)は、日本の俳優、演劇研究家。本名同じ。 神奈川県横須賀市出身。早稲田大学国文科卒業。六月劇場に所属していた。 大学在学中に劇団「若い仲間」を結成して演劇活動を行う一方、同人誌「演技研究」を発刊する。 1943年より兵役のためフィリピン・レイテ沖海戦に加わる。 1949年、女優の杉村春子の紹介で文学座に参加し、1950年の舞台『わが心の高原』(ユージン・オニール)ので、杉村の相手役を演じる。 岩田豊雄を師と仰ぎ、中村伸郎らと親しかった。1963年、三島由紀夫の『喜びの琴』事件で脱退し、1964年の劇団NLT結成に参加する。
室木弥太郎(むろき やたろう、1918年3月1日 - )は、… 室木弥太郎(むろき やたろう、1918年3月1日 - )は、日本の日本演劇・芸能研究者。金沢大学名誉教授、金沢女子大学名誉教授。1969年日本演劇学会河竹賞受賞、1992年勲三等旭日中綬章受章。 石川県金沢市育ち。1940年東京帝国大学文学部国文学科卒。金沢大学助教授、教授、Ⅰ975-76年大阪大学文学部教授を併任。1983年金沢大学名誉教授、金沢女子大学教授、1999年退任、名誉教授。1969年『金平浄瑠璃正本集』全3巻で日本演劇学会河竹賞受賞。1992年勲三等旭日中綬章受勲。
佐藤 正之(さとう まさゆき、1918年2月28日 - 19… 佐藤 正之(さとう まさゆき、1918年2月28日 - 1996年12月16日)は、日本の演劇・映画プロデューサー。妻は女優の菅井きん。北海道小樽市生まれ。 明治学院大学卒業。1942年、満州映画協会脚本部に入社後、現地で応召。シベリア抑留後の1948年に帰国。 1948年俳優座に入団、主に舞台や映画の企画、製作に携わる。映画部長となり、仲代達矢を育てる。1968年俳優座映画放送設立とともに社長に就任。俳優座映画放送は1985年、俳優座から独立し「仕事」に社名を変更した。 1991年、日本映画テレビプロデューサー協会会長となる。 代表作に、佐分利信監督「広場の孤独」、森川時久監督「若者たち」、小林正樹監督「いのちぼうにふろう」、野村芳太郎監督「砂の器」、村野鐵太郎監督「月山」、五社英雄監督「鬼龍院花子の生涯」、「陽暉楼(企画)」、熊井啓監督「深い河」など。
戸板 康二(といた やすじ、1915年12月14日 - 19… 戸板 康二(といた やすじ、1915年12月14日 - 1993年1月23日)は、日本の演劇・歌舞伎評論家、推理作家、随筆家。 東京市芝区三田四国町(現在の東京都港区芝)出身。旧姓山口。藤倉電線に勤める父・三郎、母ひさの長男として生まれる。父親の仕事の関係で中国に引っ越し、上海小学校に通い、帰国後愛宕小学校(東京都港区)に入学。山口家に男子が生まれたら母方の戸板家の養子になる約束があり、初めは「康夫」と名付けられたが、養子になった1923年7月9日、「康二」と改める。 幼時、母方の祖母で戸板裁縫女学校の創立者である戸板関子の養子となる。関東大震災のとき、鎌倉材木座の別荘にいた母親が幼い次男をかばって圧死するも、康二は東京の自宅にいたため難を逃れる。
倉林 誠一郎(くらばやし せいいちろう、1912年12月28… 倉林 誠一郎(くらばやし せいいちろう、1912年12月28日 - 2000年5月2日)は、日本の演劇制作者(演劇プロデューサー)。劇団俳優座主事として、俳優座劇場創立を主導し、新劇の制作者(プロデューサー)を務めた。また、日本芸能実演家団体協議会(芸団協)、日本新劇経営製作者協会(現・日本新劇製作者協会)、中劇場協議会等の業界団体の設立を主導し、会長・常任理事を歴任した。 ※主な出典は著書『演劇制作者』(而立書房)による。 現在の東京都江東区深川に生まれる。1927年3月に開進第一尋常小学校高等科を卒業して智山中学校2年に編入となる。 1933年に徴兵検査を受けたが、丙種で徴兵免除となる。向島の資生堂化粧品工場で働く。
左本 政治(さもと まさじ、1900年 - 没年不詳)は、日… 左本 政治(さもと まさじ、1900年 - 没年不詳)は、日本の新聞記者、演劇・舞踊評論家。「女剣劇」の命名者とされる。 1900年(明治33年)、北海道に生まれる。大正時代に上京し早稲田大学に入学。卒業後、1928年(昭和3年)に都新聞社(1942年より東京新聞)に入社、演劇記者となる。1936年(昭和11年)、浅草で観劇した不二洋子の剣劇芝居を「女剣劇」と記事で紹介したことから、「女剣劇」の名付け親とされる。第二次世界大戦中に空襲で家を焼かれ、東京新聞を退社し妻と娘を連れて北海道へ疎開、北海タイムスで働く。1951年(昭和26年)に再び上京し報知新聞社に入社する。1960年(昭和35年)に定年退職後は、演劇・舞踊の評論家として活躍。
飯塚 友一郎(いいづか ともいちろう、1894年(明治27年… 飯塚 友一郎(いいづか ともいちろう、1894年(明治27年)11月11日 - 1983年(昭和58年)4月21日)は、日本の演劇研究家、弁護士である。妻は日本舞踊家の飯塚くに。 東京の生まれ。1919年(大正8年)東京帝国大学(現在の東京大学)法学部卒業後、約10年間弁護士として活動しその傍らとして在学中からの歌舞伎等の演劇研究に携わった。その後は弁護士としての活動を辞め、1932年(昭和7年)には日本大学芸術学部の教授となる。 その後は二松學舎大学にて教鞭を執り、日本演劇学会の設立にも携わった。また松竹歌舞伎審議会の専門委員や国立劇場の評議員、鎌倉アカデミアの初代校長、鎌倉市教育委員等も歴任した。
島村 民蔵(しまむら たみぞう、1888年7月22日 - 1… 島村 民蔵(しまむら たみぞう、1888年7月22日 - 1970年11月15日)は、日本の劇作家、演劇研究家。 東京神田生まれ。号を甲鳥、柳水。開成中学校をへて1909年早稲田大学英文科卒。東京帝国大学独文科中退。坪内逍遥、大塚保治に師事。劇作、演劇研究をおこない、早稲田大学、日本大学で教える。戦後は静岡女子短期大学教授。
灰野 庄平(はいの しょうへい、1887年4月14日 - 1… 灰野 庄平(はいの しょうへい、1887年4月14日 - 1931年4月26日)は、日本の劇作家、演劇研究家。 新潟県刈羽郡中通村生まれ。1908年第二高等学校卒業、1912年東京帝国大学文学部哲学科卒業。在学中から演劇・詩・翻訳を発表。小山内薫の自由劇場に参加、卒業後丸見屋商店に入社、演劇研究を行う。1914年三木露風・増野三良・柳沢健と雑誌『未來』を創刊。1931年、急性肺炎のため死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
石割 松太郎(いしわり まつたろう、1881年1月24日 -… 石割 松太郎(いしわり まつたろう、1881年1月24日 - 1936年6月29日)は、演劇および演芸研究家・評論家。ジャーナリスト。 大阪府堺出身(生家跡は堺市立青少年センターになっており、碑が建立されている)。 1905年早稲田大学文学部卒業。国書刊行会、日本新聞、都新聞、帝国新聞、大阪新報各社を経て1917年大阪毎日新聞社に入り、劇評を担当した。 1922年、『サンデー毎日』の発刊に参加したが、白井喬二の『新撰組』を同紙に掲載する際、初めて「大衆文芸」と銘打った人物とされる。 1929年大毎を退社、1932年に早大講師となり、浄瑠璃・江戸文芸を教えた。 主として人形浄瑠璃の歴史について著作がある。
若月 紫蘭(わかつき しらん、1879年2月10日 - 19… 若月 紫蘭(わかつき しらん、1879年2月10日 - 1962年7月22日)は、日本の劇作家、演劇研究家、翻訳家、歌人。本名の若月 保治での著作も多い。 山口高等学校を経て、1903年東京帝国大学卒業。兵庫県洲本中学校教諭、石川県七尾中学校校長代理ののち、1908年「万朝報」の記者となり、1921年「人と芸術」を創刊。1922年万朝報を辞職、新劇研究所を設立した。 千代田高等女学校教諭、1928年東洋大学教授として国文学を教え、1933年千代田女子専門学校および帝国女子専門学校教授を兼任。紫蘭の号を捨てて人形浄瑠璃の研究に専念した。 1945年戦災に遭い帰郷、1950年より山口大学講師。メーテルリンクの『青い鳥』を翻訳した。
中村 吉蔵(なかむら きちぞう、1877年5月15日 - 1… 中村 吉蔵(なかむら きちぞう、1877年5月15日 - 1941年12月24日)は、日本の劇作家、演劇研究家。文学博士。早稲田大学教授。 島根県津和野生まれ。後田今市にあった魚屋の岩崎屋に生まれた。大阪に出て為替貯金管理所に勤めるかたわら、雑誌へ小説を投稿する。大阪で高須梅渓らと雑誌「よしあし草」を発行。1899年、作家の広津柳浪を頼って23歳で上京し、東京専門学校(現・早稲田大学〉文学科に入学。在学中から春雨と号して「無花果」など多くの小説を発表。1903年(明治36年)で卒業(27歳)、同年結婚。妻のこうはバイオリニストで晩香女学校などで講師をした。 1906年(明治39年)からアメリカ、ドイツ等で留学し、雑誌記者や日本人倶楽部の文書係などをしながら、演劇を研究する。
井上 理恵(いのうえ よしえ)は、日本の近現代演劇・戯曲の研… 井上 理恵(いのうえ よしえ)は、日本の近現代演劇・戯曲の研究者。桐朋学園芸術短期大学名誉教授。元吉備国際大学社会学部国際社会学科教授。理惠の名は旧字が本名。2019年から執筆時に井上理惠を使用。 東京生まれ。6歳から日本舞踊市山流家元に日本舞踊を習う(市山松鳳)。家族が宝塚歌劇団や歌舞伎・新派などを好んだため、幼少時からそれらの舞台を数多く観たという(井上著『菊田一夫の仕事』参照)。学習院時代には演劇部でフランス演劇の古典や現代劇を演じ、演出・製作にも関与した。早稲田大学第一文学部在学中に早稲田小劇場の舞台を観て演劇観が変わる(「井上理惠の演劇時評」参照)。早稲田大学大学院文学研究科修士課程演劇専修修了。