スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
吉原 菜那(よしはら なな、1997年12月9日 - )は、… 吉原 菜那(よしはら なな、1997年12月9日 - )は、佐賀県出身の元女子競輪選手。 現役時代は日本競輪選手会佐賀支部所属、ホームバンクは武雄競輪場。 日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第112期生。 師匠は三槻智清(80期)。 県内有数の進学校である佐賀県立武雄高等学校を卒業。 幼いころから様々なスポーツに親しみ、学校でおこなわれる新体力テスト(スポーツテスト)では、全国1位を取ったことが数回あるという。 サッカー部に所属していた高校生のとき、後輩の父親がのちの師匠となる競輪選手の三槻智清だった縁で競輪観戦に行き、自転車競技に魅了され、ガールズサマーキャンプを経て競輪選手を志したという。
愛野 史香(あいの ふみか、1992年3月9日 - )は、日… 愛野 史香(あいの ふみか、1992年3月9日 - )は、日本の小説家、薬剤師。佐賀県嬉野市生まれ。福岡大学薬学部卒業。 日本推理作家協会会員。薬剤師として勤務しながら執筆を行う。 小学生時代に病気で入院した経験から医療の道を志す。 佐賀県立武雄高等学校卒業後、福岡大学薬学部に進学。大学2年生のころからインターネット上に小説を投稿するなど創作活動を始めた。また、オーケストラの部活(福岡大学交響楽団)ではチェロをやっていた。大学卒業後は福岡県内の救急病院で薬剤師として勤務したが、新型コロナウイルスでの病院勤務で疲弊し、仕事を辞めて地元に帰った。しばらく仕事を離れ余裕ができたため、薬剤師勤務と並行して執筆を続ける。
三根 梓(みね あずさ、1991年12月21日 - )は、日… 三根 梓(みね あずさ、1991年12月21日 - )は、日本の女優、元女性ファッションモデル。 佐賀県嬉野市出身。テンカラット所属。 小学3年生から高校3年生まで女子バレーボール部に10年間所属し、中学3年の夏には佐賀県大会で優勝した。 中学2年生の時、知人の紹介で福岡のモデル事務所レイ・ワールドに所属。同じ頃、映画『いま、会いにゆきます』を観て女優を志し、東京の高校へ進学を希望するも両親の反対により断念する。 2010年3月に佐賀県立武雄高等学校を卒業後、同年4月早稲田大学政治経済学部に入学し、テンカラットに移籍する。デビューまで約1年間の準備期間を要した。 2012年5月、『non-no』の専属モデルとなり、同年6月には映画『シグナル〜月曜日のルカ〜』で初の演技にして主演を務め女優デビューし、同作での演技により第34回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞を受賞。
青木 理奈(あおき りな、1991年4月27日 - )は、日… 青木 理奈(あおき りな、1991年4月27日 - )は、日本のローカルタレント。 佐賀県武雄市生まれ、武雄市育ち。O型。御船が丘小学校、武雄中学校、武雄高校、福岡大学卒。 レポーター、MC、CM出演等で、佐賀県を中心に九州で活動中。 佐賀県有明海の非公認ゆるキャラ「有明ガタゴロウ」とのユニット「がたりな」としても活動中。 大学在学中の2012年4月に、「世界一の九州をつくろう!」をテーマに九州・沖縄各県のFM局が公募した「九州氷結クラブ」に佐賀代表として選抜された。 好きなことは、ジャニーズを見ること知ること楽しむこと、愛犬と戯れること、今日1日のおもしろかったことを誰かに話すこと。 将来の夢は「ラジオパーソナリティとして自分の番組をもちたい」と話していた。
笹井 宏之(ささい ひろゆき、1982年8月1日 - 200… 笹井 宏之(ささい ひろゆき、1982年8月1日 - 2009年1月24日)は、日本の歌人。歌誌「未来」所属。本名、筒井宏之。実父の筒井孝司は碗琴奏者。 佐賀県西松浦郡有田町出身。15歳の頃から身体表現性障害という難病で寝たきりになり日常生活もままならず、佐賀県立武雄高等学校を中退。2004年、インターネット上の短歌サイトや地元紙に作歌・投稿を始め、地元の佐賀新聞読者文芸で注目される。毎週木曜日に掲載される佐賀新聞の読者文芸には、「名前が載ると、じいちゃん、ばあちゃんがよろこんでくれるから」と「笹井宏之」ではなく「有田町 筒井宏之」の本名で毎週ほとんど欠かさず投稿していた。2005年に「数えてゆけば会えます」で第4回歌葉新人賞を受賞。
中橋 愛生(なかはし よしお、1978年6月19日 - )は… 中橋 愛生(なかはし よしお、1978年6月19日 - )は、日本の作曲家、編曲家、教育者。作曲を吉田峰明、西村朗、池辺晋一郎、湯浅譲二に、指揮を汐澤安彦に師事。吹奏楽、室内楽等の分野での作曲活動の他、10年以上にわたって「吹奏楽のひびき」(NHK-FM)のパーソナリティを務めることで広く知られる。
一ノ瀬 俊也(いちのせ としや、1971年(昭和46年)1月… 一ノ瀬 俊也(いちのせ としや、1971年(昭和46年)1月19日 - )は、日本の歴史学者。埼玉大学教授。専門は日本近現代史、とくに軍事史・社会史。博士(比較社会文化)(九州大学、2003年)(学位論文「近代日本の徴兵制度と社会」)。福岡県出身。
樋渡 啓祐(ひわたし けいすけ、1969年〈昭和44年〉11… 樋渡 啓祐(ひわたし けいすけ、1969年〈昭和44年〉11月18日 - )は、日本の政治家、連続起業家(シリアル・アントレプレナー)、一般社団法人理事・理事長、経営者。樋渡社中株式会社代表取締役、宇多津町まちづくりアドバイザー、一般社団法人巨樹の会理事、株式会社地域経済活性化支援機構社外取締役、関西学院大学大学院客員教授、一般社団法人全国空き家バンク推進機構理事長。 前武雄市長(3期)、2015年にCCCが設立した子会社ふるさとスマホ株式会社(後に株式会社TSUTAYAに吸収合併され解散)の代表取締役社長に就任、2016年から会長だった。2017年1月18日にホワイトテクノロジー株式会社を設立し、2018年8月31日まで代表取締役だった。
辻 聡彦(つじ としひこ、1965年10月21日 - )は、… 辻 聡彦(つじ としひこ、1965年10月21日 - )は、日本の陶芸家で、佐賀県有田町の有田焼の窯元・聡窯(そうよう)の三代目窯主。日展(理事長:宮田亮平)、佐賀県・有田陶芸協会(会長:十四代今泉今右衛門)などに所属する。 有田焼では異色の線刻技法を用い、心象風景をモチーフに作陶する陶芸家である。現在[いつ?]は福岡三越、横浜髙島屋、大阪髙島屋など全国の百貨店美術画廊にて個展を開催。 辻毅彦(陶芸家)の長男として佐賀県有田町に生まれる。 有田町立有田中学校卒業後、佐賀県立武雄高等学校普通科へ進学。祖父の辻一堂(陶芸家)の死去などをきっかけに家業である陶芸家を志す。中学、高校時代の美術教諭、広島巌(洋画家)、下平武敏(洋画家)の薦めもあって、高校在学中から杉本好守(洋画家)、杉本弘子(洋画家)夫妻のもと油絵を学ぶ。
松尾 亜紀子(まつお あきこ、1964年12月1日 - )は… 松尾 亜紀子(まつお あきこ、1964年12月1日 - )は、日本の工学者。専門は、数値流体力学、デトネーション研究。博士(工学)(名古屋大学・1993年)。慶應義塾大学教授。日本航空宇宙学会会長。ディスコ取締役。内閣府宇宙政策委員会委員。 佐賀県武雄市出身。佐賀県立武雄高等学校、津田塾大学学芸学部数学科卒業。名古屋大学大学院工学研究科博士前期課程航空宇宙工学専攻修了後、リクルート入社。リクルート・スーパーコンピューター研究所在籍中にアメリカ合衆国のプリンストン大学へ留学。帰国後にリクルートを退職し名古屋大学大学院工学研究科博士後期課程へ進学。1993年に博士論文「Multi-Dimensional Unsteady Characteristics of the Standing Oblique Detonation」を提出し名古屋大学から博士(工学)の学位を取得。
徳光 康之(とくみつ やすゆき、1963年5月17日 - )… 徳光 康之(とくみつ やすゆき、1963年5月17日 - )は、日本の漫画家。大阪府生まれ、佐賀県育ち。佐賀県立武雄高等学校卒業。佐賀大学アニメーション研究会出身。『いきなりバックドロップ犬』で1987年に『月刊少年マガジン』(講談社)よりデビュー。 大阪の生まれだが、父親の転勤により小学1年生のときから佐賀で育つ。大学時にコミケで発行した同人誌が講談社・編集者の目にとまり連絡を受ける。打ち合わせ中に見せたネタノートのイラストにあったキャラをきっかけに「いきなりバックドロップ犬」が生まれデビューを果たす。プロレスやアニメ『機動戦士ガンダム』などを題材に、マニアックなネタを盛り込んで描く作風が特徴である。
北村 信(きたむら まこと、1960年11月10日 - )は… 北村 信(きたむら まこと、1960年11月10日 - )は日本の財務官僚。内閣府沖縄振興局長、関東財務局長などを歴任。 佐賀県武雄市出身。佐賀県立武雄高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。早大政経学部在学中に国家上級甲種試験(行政)に合格。1984年4月 大蔵省入省(主計局総務課)。1985年 主計局主計企画官付(調整)。1988年7月 理財局資金第一課企画係長。1989年7月 瀬戸税務署長。1990年7月 銀行局総務課金融市場室課長補佐(金融市場)。その後の課長補佐時代は防衛庁防衛局計画課員、主計局総務課長補佐(歳入・国債係主査)、主計局主計官補佐(公共事業第二係主査)、主計局主計官補佐(地方財政第一、二係主査)、主計局主計官補佐(公共事業総括、公共事業第一、二係主査)、大臣官房調査企画課長補佐(総括)などを務める。
樋渡 真司(ひわたし しんじ、1960年9月22日 - )は… 樋渡 真司(ひわたし しんじ、1960年9月22日 - )は、日本の俳優。佐賀県武雄市出身。佐賀県立武雄高等学校、専修大学経済学部卒業。JUN-OFFICE及び自転車キンクリーツカンパニー所属。1986年より劇団「自転車キンクリート」の公演に出演。
佐々木 昭彦(ささき あきひこ 1960年1月7日 - )は… 佐々木 昭彦(ささき あきひこ 1960年1月7日 - )は、元競輪選手。佐賀県武雄市出身。日本競輪学校第43期卒業。現役時は日本競輪選手会佐賀支部所属。師匠は西村康博。初出走は1979年4月13日の防府競輪場で初勝利も同日。 父母のみならず、兄(佐々木和徳、51期)、弟(佐々木浩三、50期)も元競輪選手、和徳の息子・翔一(93期)は競輪選手という競輪一家に生まれ育つ。 佐賀武雄高校在学中はインターハイ、国体等で活躍。1978年には日本競輪学校に入学し第43期生となる。競輪学校時代の同期には、在校1位の北村徹、高校時代はバレーボールの選手から適性試験で入学し後に佐々木の親友となる滝澤正光、佐々木とは高校時代同級生であった小川博美、社会人野球出身の富原忠夫などがおり、43期は例年になくハイレベルという評判が持ち上がり、みな競輪選手になってからもその期待通りの活躍をしていた。
田中 茂(たなか しげる、1957年11月27日 - )は、… 田中 茂(たなか しげる、1957年11月27日 - )は、日本の政治家。参議院議員(1期)を務めた。 福岡県生まれ、佐賀県武雄市出身。武雄市立武雄小学校、武雄市立武雄中学校、佐賀県立武雄高等学校、クレイトン大学教養学部政治学科卒業。 広告代理店東急エージェンシー勤務を経て、1987年に中曽根康弘(第71 - 73代内閣総理大臣)事務所に入所。1993年12月より、中曽根の秘書、公設第一秘書、政策秘書を務める。 2010年7月の第22回参議院議員通常選挙にみんなの党公認で比例区から立候補したが、落選した。2014年3月に同党から当選していた藤巻幸夫が死去したことに伴い、同選挙におけるみんなの党比例区名簿にて、11位となっていた田中を繰り上げ当選とすることが、同年3月28日に行われた中央選挙管理会の選挙会で決定した(みんなの党の獲得議席数は7でその時点までで8位から10位の3人が既に繰り上げ当選していたため11位の田中が当選となった)。
田中 茂(たなか しげる、1957年11月27日 - )は、… 田中 茂(たなか しげる、1957年11月27日 - )は、日本の政治家。前参議院議員(1期)。
青木 清高(あおき きよたか、1957年8月12日 - 20… 青木 清高(あおき きよたか、1957年8月12日 - 2015年4月14日)は陶芸家である。中国南宋時代の青磁の研究を主に、青磁、天目、染付を中心に制作する作陶で知られる。父は日本芸術院会員で、文化功労者、文化勲章受章者でもあった青木龍山。 1957年(昭和32年)、陶芸家・青木龍山の長男として、佐賀県西松浦郡有田町に生まれる。佐賀県立武雄高等学校を卒業後、1976年(昭和51年)に長崎大学教育学部美術科入学、洋画を専攻。1980年(昭和55年)、同大学卒業。卒業と同時に中村清六(佐賀県重要無形文化財白磁保持者)に師事。 青木家では、1600年代後半頃より外尾山窯の窯焼として家業が引き継がれて来たが、曾祖父・青木甚一郎が外尾登の権利を買取り、18歳の時に本家(青木太平家)より独立し、実弟・栄次郎と共に明治20年代の後半に有田焼の製造販売を手掛ける青木商店を設立。
吉竹 顕彰(よしたけあきら、1957年(昭和32年) - … 吉竹 顕彰(よしたけあきら、1957年(昭和32年) - )は、日本の気象予報士。NHK福岡放送局の夕方ニュースで気象キャスターを務める。 佐賀県武雄市出身。佐賀県立武雄高等学校を経て九州大学理学部物理学科を卒業した。 1980年、日本気象協会九州支社に入社した。 1990年よりNHK福岡の気象キャスターを担当する。 2022年、第74回NHK放送文化賞を受賞した。 趣味は植物観察、自転車、読書、音楽(ジャズ)など。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
山下 俊文(やました としふみ、1954年11月3日 - )… 山下 俊文(やました としふみ、1954年11月3日 - )は、元NHKエグゼクティブアナウンサー。元日本語センター長。 佐賀県立武雄高等学校を経て法政大学卒業後、1977年入局。初任地は高知。長崎局時代に長崎水害の第一報の中継リポート。福岡、大阪ではプロ野球などスポーツ中継アナウンサーだった。東京アナウンス室で「おはよう日本」や緊急報道の中継デスク、ラジオ第1「NHKジャーナル」のキャスターを勤める。1999年6月から2001年6月まで福岡放送局アナウンス専任部長。日本語センターチーフアナウンサー、2004年鹿児島放送局放送部長。その後、日本語センターチーフアナウンサー、日本語センターエグゼクティブ・アナウンサー、日本語センター長。
陣内 正敬(じんのうち まさたか、1954年3月8日 - 2… 陣内 正敬(じんのうち まさたか、1954年3月8日 - 2012年12月6日)は、日本の日本語学者。 佐賀県杵島郡北方町(現・武雄市)生まれ。佐賀県立武雄高等学校卒業、1977年九州大学理学部生物学科卒、1982年同大学院博士課程中退(言語学専攻)、九大文学部助手、1985年九州大学教養部助教授、1988年言語文化部助教授を経て、1995年関西学院大学総合政策学部助教授、1997年教授となる。2005年「外来語の社会言語学的研究」で大阪大学博士(文学)。専門は社会言語学。
井上 善海(いのうえ ぜんかい、1954年 - )は、日本の… 井上 善海(いのうえ ぜんかい、1954年 - )は、日本の経営学者、九州情報大学助教授、広島大学大学院教授、東洋大学教授、法政大学大学院教授を経て、現在、九州情報大学・大学院教授。経営学専攻で、専門分野は経営戦略論、事業創造論、中小企業経営論。“理論と実践の融合”をコンセプトに、長年にわたって多角的な視点から企業経営を研究している。2018年(ー現在)「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞実行委員会副委員長・審査委員、2018年(ー現在)日本マネジメント学会常任理事、2019年(ー2025年)日本経営学会常任理事、2020年(ー現在)人を大切にする経営学会副会長。2021年(ー2024年)経営行動研究学会副会長。
黒川 明(くろかわ あきら、1952年9月5日 - )は、日… 黒川 明(くろかわ あきら、1952年9月5日 - )は、日本の実業家。参天製薬代表取締役会長兼CEO。佐賀県出身。 佐賀県立武雄高等学校を経て、1977年に早稲田大学政治経済学部を卒業。同年、参天製薬に入社。1997年4月に医薬事業部長室室長、同年6月に取締役、1998年6月に医薬事業部副事業部長、2001年5月に医薬事業部長、同年6月に執行役員、2004年7月に常務執行役員に、それぞれ就任。2006年6月、社長就任。2018年4月より現職。
一ノ瀬 泰造(いちのせ たいぞう、1947年〈昭和22年〉1… 一ノ瀬 泰造(いちのせ たいぞう、1947年〈昭和22年〉11月1日 - 1973年〈昭和48年〉11月29日)は、日本の報道写真家。 一ノ瀬清二・信子の長男として佐賀県武雄市に生まれる。佐賀県立武雄高等学校に入学。物理部の部長として写真部門で活躍。夏、野球部に所属し、甲子園(第45回全国高等学校野球選手権大会)に出場。 1966年4月、日本大学芸術学部写真学科に入学。 1971年、卒業後、UPI通信社東京支社に勤務(3ヶ月で退社)。 半年の試用期間をもってUPIを不採用になったため、フリーランスの戦争カメラマンとして活動を開始。米軍キャンプPXの写真屋で1年間働き資金を貯め、インド・パキスタン戦争へ向かう。
谷口 太一郎(たにぐち たいちろう、1946年9月8日 - … 谷口 太一郎(たにぐち たいちろう、1946年9月8日 - )は、日本の政治家。佐賀県嬉野市長(3期)。元嬉野町長(3期)。 佐賀県藤津郡嬉野町出身。嬉野町立嬉野小学校、嬉野町立嬉野中学校卒業後、佐賀県立武雄高等学校卒業。1969年(昭和44年)に同志社大学を卒業し佐賀新聞社へ入社。 1995年(平成7年)、嬉野町長に就任。 2006年(平成18年)1月1日、嬉野町と塩田町が合併して嬉野市が誕生。これに伴って1月29日実施の市長選挙に出馬し無投票で当選。2月5日、市長就任。2010年(平成22年)も無投票で再選。 2014年(平成26年)1月26日に行われた選挙では、会社経営者の藤山勝済を破り3選(谷口:8,584票、藤山:7,669票)。
吉田 勝豊(よしだ かつとよ、1935年3月21日 - 20… 吉田 勝豊(よしだ かつとよ、1935年3月21日 - 2016年3月9日)は、佐賀県武雄市出身のプロ野球選手(外野手、一塁手)・コーチ。 武雄高校では、1951年秋季九州大会県予選準決勝に進むが佐賀高に敗退。翌1952年夏の甲子園県予選も準決勝で佐賀商に敗れる。卒業後は日鉄二瀬に入社し、1956年の都市対抗に四番打者として出場。1回戦では本塁打を放ち富士製鐵室蘭を降すが、2回戦で日本コロムビアに9回サヨナラ負け。チームメートには古葉竹識・江藤慎一・井洋雄らがいた。 1957年、東映フライヤーズへ入団。3月30日の阪急との開幕戦(西宮)では新人ながら四番左翼手に抜擢され、梶本隆夫からプロ初安打を放つ。
井本 勇(いもと いさむ、1925年9月17日 - 2018… 井本 勇(いもと いさむ、1925年9月17日 - 2018年4月23日)は、日本の政治家。元佐賀県知事。佐賀清和学園元理事長。認定NPO法人地球市民の会元顧問。 1925年、佐賀県唐津市久里出身。旧制武雄中学校(現・佐賀県立武雄高等学校)を卒業後、1947年に佐賀県の地方事務所に採用された。経済部次長、総務部長などを経て1982年から副知事を2期務めた。自民党、民主党、公明党、社会党の推薦を受け、1991年から3期12年にわたって知事を務めた。在任中は吉野ヶ里遺跡の歴史公園整備や世界・焱の博覧会の開催、佐賀空港開港などを進めた。知事選では毎回30万票以上の得票を得て圧勝し、後継を指名せず2003年に引退。
長島 厚(ながしま あつし、1923年 - ) は、日本の陸… 長島 厚(ながしま あつし、1923年 - ) は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大尉。1945年8月の「占守島の戦い」の生き残り。 佐賀県武雄市出身。1938年(昭和13年)に、陸軍予科士官学校進学のため佐賀県立武雄中学校を中退する。 1938年(昭和13年)陸軍予科士官学校に入学する。1941年(昭和16年)7月、陸軍士官学校(55期)卒業後、関東軍戦車第四連隊に配属となり、第五方面軍将校として札幌に赴任するが、第九十一師団戦車第十一連隊指揮官として千島列島の占守島に着任する。 1945年(昭和20年)8月15日にソ連軍が爆撃を開始。8月18日未明にはソ連軍部隊が占守島の竹田浜に上陸し、その「占守島の戦い」に大尉として応戦することとなる。
石井 良一(いしい りょういち、1869年10月30日(明治… 石井 良一(いしい りょういち、1869年10月30日(明治2年9月26日)- 1950年(昭和25年)7月8日)は、日本の実業家、政治家、郷土史研究家。福岡県若松市長。旧姓・山崎。 肥前国杵島郡武雄村下西山(現佐賀県武雄市)で山崎又七の三男として生まれる。1884年6月、武雄中学校を卒業して九州鉄道に入社。1887年11月、石井宗直の婿養子となり石井に改姓。 九州鉄道では福岡、博多、小倉、門司の各駅長、門司運輸事務所長、本社調査係長などを務め、1907年7月、鉄道国有化後に帝国鉄道庁参事となる。1910年9月、植村俊平大阪市長に迎えられ大阪市主事となり、さらに大阪市電気鉄道部長を務めた。 1914年から1922年まで福岡県若松市長を務め、この間、武雄に株式会社蓬莱銀行を設立して頭取となった。
江口 美智子(えぐち・みちこ、5月4日生まれ)は、佐賀県で活… 江口 美智子(えぐち・みちこ、5月4日生まれ)は、佐賀県で活動しているローカルタレント、ラジオパーソナリティ。
AMADORI(あまどり)は、佐賀県出身の女性シンガー。 1… AMADORI(あまどり)は、佐賀県出身の女性シンガー。 1981年3月31日生まれ(公式サイトより)。O型。佐賀県武雄市出身()。佐賀県立武雄高等学校を卒業後、2000年に上京。 ユニット「windy hill」を結成し、音楽活動を開始する。 windy hill は2001年に活動休止、以後「AMADORI」としてソロで活動をはじめ、2005年シングル「光~大切にするべきはその手~」でメジャーデビュー。 AMADORIは、公式サイトによると、アマツバメの古称で、『「雨の中を飛ぶ鳥のイメージ」で、切なく悲しくも、力強い存在であり続けるという意味を込めて自ら』命名したという。
大曲 貴夫(おおまがり のりお)は、日本の医師、医学者。国立… 大曲 貴夫(おおまがり のりお)は、日本の医師、医学者。国立国際医療研究センター 副院長、同国際感染症センター長。学位は博士(医学)(愛知医科大学・2015年)。 長崎大学熱帯医学研究所 臨床感染症学分野 客員教授、東北大学大学院医学系研究科 新興・再興感染症学講座 客員教授などの教職にもついている。 佐賀県で酪農を営む両親のもとで生まれ育つ。小学生の頃に病気を患い佐賀医科大学医学部附属病院(現佐賀大学医学部附属病院)で治療を受け、子ども心に「医者になれば両親に心配をかけなくなる」と思うようになった。 佐賀県立武雄青陵高等学校に進学。在学中は柔道部に所属し光武則秋の指導を受けた。そこで教養のある人間になるよう『文武両道』などを教えられる。