笠井 智一(かさい ともかず、1926年(大正15年)3月8日 - 2021年(令和3年)1月9日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍上等飛行兵曹。第二次世界大戦(大東亜戦争)における戦闘機パイロット。共同撃墜10機を記録。 1926年(大正15年)3月8日、兵庫県多紀郡篠山町(現・丹波篠山市)の農家に男3人女2人の兄弟の末っ子として生まれた。体は大きく運動神経も良かったが、乗り物に弱くバス酔いする体質であった。鳳鳴中学2年の時、母校の先輩であり渡洋爆撃で知られていた小谷雄二大尉の帰郷講演を聞いて感動し海軍航空隊を志す。中学4年の時、甲種予科練に合格する。同期生に神風特別攻撃隊「敷島隊」隊員となった谷暢夫がいる。
出典:ウィキペディア「笠井智一」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
