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山田喜之助

やまだ きのすけ
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山田 喜之助(やまだ きのすけ、1859年6月30日〈安政6年6月1日〉 - 1913年〈大正2年〉2月20日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(東京府第3区選出、当選2回)。衆議院書記官長。司法次官。東京代言人組合(東京弁護士会の前身)会長。号は奠南(てんなん)。東京専門学校、英吉利法律学校創立に関与した。 大坂・船場の商家に生まれた。八郎兵衛の二男。生家は家号を「桜井屋」といい、江戸時代から代々続いた富裕な薬種砂糖商として有名だった。母・志ようは喜之助が4歳の時に死去した。父は、6歳になった喜之助を、船場淡路町にあった儒者・藤沢南岳の泊園書院(泊園塾、現在の関西大学)に通わせた。漢学、特に漢詩の素養を身につけた。

出典:ウィキペディア「山田喜之助」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋