上妻 美章(こうづま よしあき、1923年 - 1989年)は、昭和時代の労働運動家。 福岡県生まれ。1950年九州大学法学部政治学科卒業。在学中は野中卓、水原輝雄とともに九州大学共産党細胞の中心メンバーであった。1953年左派社会党の稲村順三衆議院議員の秘書となる。1957年総評書記局に入局し調査部に配属。太田薫総評議長のブレーンとして「日本的組合主義」の草案を執筆。1963年総評教宣局情宣部長に就任し『月刊総評』の編集などに従事。1968年岩井章総評事務局長と対立して総評を退職。宝樹文彦全逓委員長の招請で全逓に入職し、全逓中央労働学校の常任講師、制度・政策委員として活動した。
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