根本 行都(ねもと ゆきさと、1902年 - 没年不明)は、日本の野球選手・監督。東京都出身。 早稲田中学校(現在の早稲田高等学校)から茨城県の竜ヶ崎中学校に転校し、1921年の甲子園に投手として出場(初戦で大連商に3-5で惜敗)。早稲田大学では名遊撃手として活躍した。 プロ野球選手としての経歴はないものの、指導者として長く様々なチームに関わった。早大進学後には、合宿を抜け出して母校の竜ヶ崎中学校を泊まり込みで指導し、甲子園に導いている。秋田商や中央大学の監督を経て、1938年に桝嘉一の後任として名古屋軍の監督に就任した。 しかし、当時の名古屋軍は主力が抜けた後でチーム事情が悪く、投手では西沢道夫・松尾幸造、打者では大沢清が活躍するも低迷。
出典:ウィキペディア「根本行都」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
