スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
森田 歩希(もりた ほまれ、1996年6月29日 - )は、… 森田 歩希(もりた ほまれ、1996年6月29日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は中距離・長距離走。茨城県守谷市出身。竜ヶ崎第一高等学校、青山学院大学社会情報学部社会情報学科卒業。GMOアスリーツ所属。身長169cm、体重54kg。父親は元陸上競技選手の森田桂。 守谷市立御所ケ丘中学校3年時の全日本中学校陸上では予選敗退だった。しかし5000m14分38秒99の中学日本記録(当時)を樹立した。竜ヶ崎第一高校時代は全国高校駅伝への出場はなかった。 2015年、青山学院大学に入学し、陸上競技部に所属した。大学駅伝デビュー戦となった2年次の第48回全日本大学駅伝では6区で区間賞を獲得し、MVPを獲得した。
藤崎 翔(ふじさき しょう、1985年10月9日 - )は、… 藤崎 翔(ふじさき しょう、1985年10月9日 - )は、日本の小説家、元お笑い芸人。本名、同じ。 牛久市立牛久第二中学校を経て、茨城県立竜ヶ崎第一高等学校卒業後にお笑い芸人を目指して上京し、三島裕一(現在はピン芸人「ハッピーマックスみしま」として活動)と、お笑いコンビ「セーフティ番頭」を結成。コントの台本を100本以上書き上げた。NHK「爆笑オンエアバトル」に5回挑戦し1回オンエアされる。2010年に6年間活動したコンビを解消。 ホームヘルパーの資格を取得。清掃業などのアルバイトをしながら小説を執筆し、様々な文学賞に応募する。2014年、初めて書いた長編ミステリー『神様のもう一つの顔』(刊行時『神様の裏の顔』に改題)で第34回横溝正史ミステリ大賞を受賞し、小説家デビューする。
村上 健志(むらかみ けんじ、1980年〈昭和55年〉12月… 村上 健志(むらかみ けんじ、1980年〈昭和55年〉12月8日 - )は、日本のお笑い芸人、俳人。お笑いコンビ「フルーツポンチ」のボケ・ネタ作り担当。立ち位置は向かって右。相方は亘健太郎。吉本興業所属。 茨城県稲敷郡牛久町(現在の牛久市)出身。牛久市立中根小学校、牛久市立下根中学校、茨城県立竜ヶ崎第一高等学校、青山学院大学経済学部を卒業した。 2004年4月、東京NSCに入学(10期生)。翌年に同期の亘健太郎とフルーツポンチを結成。 2015年4月28日、稀勢の里とともに、牛久市の初代観光大使に任命された。 2023年8月9日、一般女性との結婚を公表したが、のちにその相手が女優の木乃江祐希であることが判明。
杉山 春樹(すぎやま はるき、1980年5月7日 - )は、… 杉山 春樹(すぎやま はるき、1980年5月7日 - )は、茨城県北相馬郡利根町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。現在は埼玉西武ライオンズプロスカウト。 竜ヶ崎第一高校時代からプロ注目の投手であったが、卒業後は専修大学に進学。大学時代は、1年上に酒井泰志、同期に江草仁貴らの投手陣が揃っており主戦格ではなかった。1部リーグは1年春と4年秋のみで、通算2試合に登板、0勝0敗、防御率0.00。 大学では1年夏に右ひじを手術後あまり登板機会はなく、4年以降は大学に籍を置き1年間アルバイト生活をしながら、プロ入りを目指し練習を行なっていた。2003年のドラフト会議にて西武ライオンズから8巡目の指名を受け入団。
斎藤 哲也(さいとう てつや、1964年6月3日 - )は、… 斎藤 哲也(さいとう てつや、1964年6月3日 - )は、TBSテレビの社員、元エグゼクティブアナウンサー。 茨城県出身。茨城県立竜ヶ崎第一高等学校を経て早稲田大学第二文学部社会学専修卒業。 大学在学中に東八郎が主宰する「笑塾」にてお笑いを学び、新宿コマ劇場を始め数々の舞台を経験するが、大学卒業と東の死去に伴い、お笑いからアナウンサーへ転身。 1989年4月、TBS(旧法人)にアナウンサー25期生として入社。同期には小林豊、小笠原保子、福島弓子、原山理一郎がいる。 1996年9月までは主に報道番組を担当していた。1995年、朝の情報番組『あなたにオンタイム』で秋沢淳子とともにメインキャスターを務める。
千葉 繁(ちば しげる、1963年〈昭和38年〉2月1日 -… 千葉 繁(ちば しげる、1963年〈昭和38年〉2月1日 - )は、日本の政治家、実業家。茨城県阿見町長(第8代)、昭和運送株式会社代表取締役。 阿見町議会副議長(第25代)、阿見町議会議員(3期)、阿見町議会行政改革特別委員会委員長、阿見町監査委員、阿見町議会総務常任委員会委員長、牛久地区交通安全協会理事、土浦地区交通安全協会監査、阿見町商工会青年部長などを歴任。 茨城県稲敷郡阿見町出身。阿見町立阿見小学校、阿見町立阿見中学校、茨城県立竜ヶ崎第一高等学校を経て、1985年(昭和60年)、青山学院大学を卒業。卒業後は父が経営する昭和運送に入社。1987年(昭和62年)には阿見町消防団に入団し、2003年(平成15年)3月まで消防団員として活動したほか、土浦地区交通安全協会監査、牛久地区交通安全協会理事、阿見町商工会青年部部長、阿見小学校PTA会長などを務めた。
中山 一生(なかやま かずお、1962年(昭和37年)11月… 中山 一生(なかやま かずお、1962年(昭和37年)11月13日 - )は、日本の政治家。茨城県議会議員(2期)。元茨城県龍ケ崎市長(3期)。 祖父は衆議院議員を務めた中山栄一。父は防衛庁長官を務めた中山利生。 茨城県龍ケ崎市生まれ。龍ケ崎市立龍ケ崎小学校、龍ケ崎市立愛宕中学校、茨城県立竜ヶ崎第一高等学校、日本大学法学部法律学科卒業。 大学卒業後は、父・中山利生の政策担当秘書を務めた。 1991年、中山利生が宮澤内閣で防衛庁長官に任命された際には、秘書官を務めた。 2005年、第44回衆議院議員総選挙に茨城県第3区から無所属で出馬したが、自民党の葉梨康弘、民主党の小泉俊明の後塵を拝し、得票数3位で落選した。
田島 英一(たじま えいいち、1962年 - )は、日本の政… 田島 英一(たじま えいいち、1962年 - )は、日本の政治学者。慶應義塾大学総合政策学部教授。専門は中国地域研究、公共宗教論。SFC中国語研究室に所属。 東京都出身。1980年茨城県立竜ヶ崎第一高等学校、1985年慶應義塾大学文学部卒業。1987年同大学院文学研究科修士課程修了、1991年同博士課程単位取得退学。1994年慶大総合政策学部専任講師、2001年助教授、2006年教授。
宮嶋 宏幸(みやじま ひろゆき、1959年10月24日 - … 宮嶋 宏幸(みやじま ひろゆき、1959年10月24日 - )は、日本の実業家。ビックカメラ代表取締役社長・代表執行役員を経て、同社取締役副会長を務めた。 1959年、長野県の菓子問屋を営む家庭に生まれる。 1978年、茨城県立竜ヶ崎第一高等学校を卒業した。1984年、法政大学文学部英文学科を卒業後、大卒1期生でビックカメラに入社する。 入社後は、店舗開発や企画に深く携わり、渋谷東店店長、取締役兼池袋本店店長、取締役人事部長、取締役営業部長、取締役営業本部長、2004年に専務取締役兼商品本部長等を歴任した。 2005年11月に、創業者の新井隆二の指名で社長に就任する。2020年9月、取締役副会長に就任したが、同年11月19日をもって退任した。
大貫 裕仁(おおぬき ゆうじ、1959年 - 2016年5月… 大貫 裕仁(おおぬき ゆうじ、1959年 - 2016年5月16日)は、日本の弁護士。西村あさひ法律事務所元マネージングパートナー弁護士。第二東京弁護士会元副会長。日本弁護士連合会元事務次長。 1983年、青山学院大学法学部私法学科卒業。1990年に第二東京弁護士会に弁護士登録。1997年にニューヨーク州弁護士登録。1994年にアメリカン大学ロースクール卒(LL.M.)。1998年茨城県龍ケ崎市情報公開個人情報保護審査委員会委員。2005年第二東京弁護士会国際委員会委員長。2007年より同弁護士会倒産法制等民事法制検討委員会委員長。2008-2009年同弁護士会副会長。2012-2014年日本弁護士連合会事務次長。
小泉 俊明(こいずみ としあき、1957年4月26日 - )… 小泉 俊明(こいずみ としあき、1957年4月26日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(3期)、国土交通大臣政務官(菅第1次改造内閣・菅第2次改造内閣)、民主党副幹事長、減税日本幹事長(第2代)、取手市議会議員などを歴任した。 茨城県北相馬郡取手町(現在の取手市)生まれ。取手町立小文間小学校、取手市立取手第一中学校、茨城県立竜ヶ崎第一高等学校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。早稲田大学在学中は雄弁会に所属した。大学卒業後、中小企業経営者を経て取手市議会議員を務める。 2000年、第42回衆議院議員総選挙に茨城3区から民主党公認で出馬。自由民主党の葉梨信行に敗れたが、重複立候補していた比例北関東ブロックで復活し、初当選した。
椎名 市衛(しいな かずえ、1953年(昭和28年) 5月1… 椎名 市衛(しいな かずえ、1953年(昭和28年) 5月17日 - )は茨城県在住の北辰一刀流の伝道者。北辰一刀流第七代宗家。武号は成胤。直心影流剣術師範。日本伝統文化保存会会長。剣道場床工事「武床工舎」代表。 茨城県龍ケ崎市に生まれる。大学卒業後、剣道修業。31歳公立中学の数学教員、52歳退職。同年、道場床工事「武床工舎」を創立。剣道場床工事の専門家として、日本並びに海外にて道場建設を行う。剣道場床工事の専門家。 2013年6月、北辰一刀流宗家継承。世界各地で、剣術等の指導を行う。鷹匠、猛禽類ブリーダー 中学に入り剣道を始める。最初に師事したのは、元陸軍大尉武田治衛教士。後に北辰一刀流第6代師範谷島三郎教士の指導を受ける。
根本 洋治(ねもと ようじ、1952年(昭和27年)8月27… 根本 洋治(ねもと ようじ、1952年(昭和27年)8月27日 - )は、日本の政治家。元茨城県牛久市長(2期)、元牛久市議会議員(3期)。 茨城県牛久市出身。牛久町立牛久小学校、牛久町立牛久第一中学校、茨城県立竜ヶ崎第一高等学校卒業。1975年(昭和50年)3月、駒澤大学経営学部卒業。 1999年(平成11年)4月、牛久市議会議員選挙に初当選。以後3期務める。その間、議長も務めた。2011年(平成23年)の市議選は出馬しなかった。 2015年(平成27年)9月13日に行われた牛久市長選挙に出馬、現職の池辺勝幸の市政からの刷新を主張した。対する元市議の諸橋太一郎は池辺市政の継承を訴えた。同選挙で初当選し、10月3日に市長に就任した。
宮本 孝男(みやもと たかお、1950年4月17日 - )は… 宮本 孝男(みやもと たかお、1950年4月17日 - )は、茨城県龍ケ崎市出身の、元プロ野球選手及び元競輪選手。1972年及び競輪時代の登録名は宮本 孝雄(読み同じ)。 竜ヶ崎第一高校ではエース。切れのいいカーブを武器とした本格派。コントロールがあとひと息といわれているが、主将で四番を打ちバッティングも高く評価されていた。1968年ドラフト会議で東映フライヤーズから3位指名を受け入団。ポジションは投手。1972年の登録名は宮本 孝雄。同年限りで引退。 その後、競輪選手に転身。日本競輪選手会茨城支部に在籍していた。日本競輪学校第35期生で、同期には中野浩一らがいる。なお、競輪選手登録名は宮本 孝雄である。
持丸 修一(もちまる しゅういち、1948年4月17日 ‐ … 持丸 修一(もちまる しゅういち、1948年4月17日 ‐ )は、日本の高校野球指導者。茨城県北相馬郡藤代町(現在の取手市)出身。4校を甲子園大会に導いている。 藤代中学校時代には木内幸男に指導を受けたこともある。中学校卒業後、茨城県立竜ヶ崎第一高等学校に進学した。 1966年、3年生の時に第48回全国高等学校野球選手権大会に6番・二塁手として出場したが、2回戦で敗退した。1回戦の興南高等学校戦で2安打を記録している。國學院大學に進学後、新聞記者を目指していたが、4年の時に母校のコーチをし始め、卒業と同時に母校に赴任し、そのまま日本史の教員となった。1975年秋に27歳で監督に就任した。 就任16年目の1990年夏、第72回全国高等学校野球選手権大会に出場した。
北澤 寛治(きたざわ かんじ、1947年 - )は、日本の外… 北澤 寛治(きたざわ かんじ、1947年 - )は、日本の外交官。外務省カリブ室長や、駐コンゴ民主共和国兼コンゴ共和国特命全権大使を務めた。北沢寛治とも。 茨城県龍ケ崎市出身。1966年茨城県立竜ヶ崎第一高等学校卒業。1970年中央大学法学部卒業。1972年外交官試験合格。1973年外務省入省。2000年ハイチ臨時代理大使。外務省中南米局南米カリブ課地域調整官兼カリブ室長を経て、2008年から駐コンゴ民主共和国特命全権大使を務め、道路整備などの援助を進めた。2011年兼コンゴ共和国特命全権大使。2022年、瑞宝中綬章受章。
岡野 功(おかの いさお、1944年(昭和19年)1月20日… 岡野 功(おかの いさお、1944年(昭和19年)1月20日 - )は、日本の柔道家、流通経済大学名誉教授。1964年(昭和39年)東京オリンピック柔道男子80kg級金メダリスト。身長170cm。体重80kg。 茨城県龍ケ崎市出身。福井英一の漫画『イガグリくん』に影響を受け中学から柔道を始める。茨城県立竜ヶ崎第一高等学校卒業。中央大学法学部に在学中の1964年(昭和39年)、東京オリンピックに中量級の日本代表として出場し、金メダルを獲得した。1965年(昭和40年)の世界選手権でもオール一本勝ちで優勝し、21歳で柔道中量級における世界のトップ選手となる。1972年の(昭和47年)全日本柔道選手権覇者でミュンヘンオリンピック中量級で金メダルを獲得した関根忍とは同学年のライバルであった。
塩瀬 盛道(しおせ もりみち、1931年5月23日 - 20… 塩瀬 盛道(しおせ もりみち、1931年5月23日 - 2001年3月25日)は、日本のプロ野球選手(投手・外野手。右投右打)、大学野球指導者(監督)、実業家。 初打席初本塁打を放つも、以後再び打席に立つことも試合に出ることもなかったため、通算打率10割・通算長打率40割・通算OPS5.000という、稀有の記録を有する選手である。この記録は、日本プロ野球の歴史の中で、塩瀬とドン・シュルジー(オリックス)の2例しか見受けられない。通算出場試合が1試合、しかも初球で仕留めた記録となると、塩瀬のみである。 東京府荏原郡馬込町(現在の東京都大田区馬込)で生まれる。戦火に遭い、母親の実家がある茨城県稲敷郡牛久村(現在の牛久市)へ疎開する。
牛山 純一(うしやま じゅんいち、1930年2月4日 - 1… 牛山 純一(うしやま じゅんいち、1930年2月4日 - 1997年10月6日)は、日本のドキュメンタリー映像作家。父は歴史学者の牛山栄治 東京都出身。小学6年生から旧制中学校卒業まで現在の茨城県龍ケ崎市で過ごす。 茨城県立龍ヶ崎中学校(現在の竜ヶ崎第一高等学校)を経て1953年、早稲田大学第二文学部西洋史学専修卒業。早稲田大学卒業後、開局したての日本テレビに入社し、報道記者として活躍。 1954年に日本テレビで放送された、吉田内閣不信任案における国会の混乱や造船汚職事件などを扱った『特集第十九国会』が彼のテレビ・ドキュメンタリーのデビューとなった。 1961年から、ドキュメント番組『ノンフィクション劇場』を制作。
岡田 昭守(おかだ あきもり、1927年(昭和2年)3月15… 岡田 昭守(おかだ あきもり、1927年(昭和2年)3月15日 - 1992年(平成4年)5月30日)は、日本の政治家、茨城県龍ケ崎市長を務めた(3期)。 茨城県出身。1942年(昭和17年)旧制茨城県立龍ヶ崎中学校(現在の茨城県立竜ヶ崎第一高等学校・附属中学校)を卒業した。電機会社に勤めた後、稲敷郡龍ケ崎町役場に奉職する。龍ケ崎市制施行後の市役所内では消防署長、議会事務局長、総務部長、助役を務めた。助役時代の1981年(昭和56年)5月30日、当時の龍ケ崎市長の中村忠雄が交通事故により死去した。その後を受けて市長選挙に立候補し、当選した。当選後は前市長が進めたニュータウンの造成を中心とする総合都市を計画を実施し、「産業文化都市・龍ケ崎」を位置づけした。
中山 利生(なかやま としお、1925年3月16日 - 20… 中山 利生(なかやま としお、1925年3月16日 - 2004年9月30日)は、日本の政治家。衆議院議員(9期)、防衛庁長官、自民党副幹事長、衆議院安全保障委員長などを歴任。位階は正三位。 衆議院議員を務めた中山栄一の息子として、茨城県稲敷郡龍ケ崎町(現・龍ケ崎市)に生まれた。旧制龍ケ崎中学(現・竜ヶ崎一高)を経て、日本大学法学部を卒業。大学時代は水泳部に所属し、副主将を務めた。 大学卒業後、父の秘書を経て1969年の第32回衆議院議員総選挙に自民党公認で旧茨城県第1区から出馬し当選。以降9期当選した。法務政務次官や自治政務次官を経て、1992年12月12日、宮澤改造内閣で初入閣し、防衛庁長官に任命された。
菊地 勝志郎(きくち かつしろう、1920年(大正9年)4月… 菊地 勝志郎(きくち かつしろう、1920年(大正9年)4月10日 - 2011年(平成23年)6月8日)は、日本の政治家。茨城県取手市長(4期)。 茨城県北相馬郡藤代町(現・取手市)出身。1938年旧制茨城県立龍ヶ崎中学校(現・茨城県立竜ヶ崎第一高等学校・附属中学校)卒業。卒業後は朝鮮総督府鉄道局、川崎銀行、東晃製機を経て、菊地園芸を創業する。県造園建設協会を結成し、会長となる。その後取手市農業協同組合長となり、1979年取手市長に当選。4期務め、1995年に退任した。同年勲四等瑞宝章を受章した。2011年に死去した。
大野 保四(おおの やすし、1915年(大正4年)12月13… 大野 保四(おおの やすし、1915年(大正4年)12月13日 - 1945年(昭和20年)6月27日)は日本の大日本帝国海軍軍人。海軍兵学校65期を昭和13年(1938年)3月16日卒業。太平洋戦争において呂号第六十四潜水艦と伊号第百六十五潜水艦に艦長として乗艦した。昭和20年(1945年)6月15日、人間魚雷回天二基を搭載して山口県の光基地より出撃したまま消息不明となり昭和20年7月16日をもって搭乗員は戦没、潜水艦は7月29日喪失と認定し、回転搭乗員であった北村十二郎一飛曹(長野県出身)、水知創一(兵庫県出身)少尉以下106 名の戦死を公表。戦死による一階級昇進で最終階級は海軍中佐。 大正4年(1915年)12月13日、父 大野謹平と忠(旧姓:千代倉)の次男として茨城県稲村郡生板村大字竜ヶ崎に生まれる。
服部 正一郎(はっとり しょういちろう、1907年11月17… 服部 正一郎(はっとり しょういちろう、1907年11月17日 - 1995年3月20日)は、日本画家、日本芸術院会員。茨城県出身。 茨城県稲敷郡龍ケ崎町(現龍ケ崎市)出身。旧制龍ヶ崎中学(現茨城県立竜ヶ崎第一高等学校)在籍中は弓道部で活躍したという。1929年(昭和4年)の第16回二科展で「庭」が初入選。 1967年(昭和42年)の第52回二科展に出品した「水郷」によって翌年に日本芸術院賞を受賞。 1987年(昭和42年)に日本芸術院会員となる。1992年、勲三等瑞宝章受章。 1995年(平成7年)3月20日に茨城県取手市の取手協同病院で死去。
鈴木 草牛(すずき そうぎゅう、1905年〈明治38年〉7月… 鈴木 草牛(すずき そうぎゅう、1905年〈明治38年〉7月15日 - 1988年〈昭和63年〉1月8日)は、20世紀に活動した日本画家。1948年から20年間は教師としても活動。 茨城県稲敷郡牛久村(現在の牛久市)に生まれる。1926年、東京美術学校(現在の東京芸術大学美術学部)日本画科に入学した。1929年、第4回茨城美術展で初入選を果たす。みやこ新聞社、茨城新聞社で記者として働く。1948年から母校である茨城県立龍ヶ崎中学校(現在の竜ヶ崎第一高等学校)に美術教師として20年間奉職した。1962年、65年は茨城県美術展運営委員を務める。1968年には新興美術院理事を務める。1972年から数度に渡り外遊した。
武藤 清(むとう きよし、1903年1月29日 - 1989… 武藤 清(むとう きよし、1903年1月29日 - 1989年3月12日)は、日本の建築家・建築構造学者・構造家。千葉工業大学工学部建築学科の創設者。元鹿島建設副社長。兄は医学者の武藤完雄。日本建築学会会長、国際地震工学会初代会長、日本コンクリート会議初代会長などを歴任し、また自身で武藤構造力学研究所を開く。 茨城県北相馬郡井野村大字青柳(現在の取手市青柳)出身。龍ヶ崎中学校(現在の茨城県立竜ヶ崎第一高等学校)から第二高等学校を経て東京帝国大学工学部建築学科に進学。1925年(大正14年)卒業後、母校に残り佐野利器の元で建築構造の研究に打ち込む。 関東大震災の直後から構造振動解析の研究に着手し、耐震構造学の研究を進めた。
根本 行都(ねもと ゆきさと、1902年 - 没年不明)は、… 根本 行都(ねもと ゆきさと、1902年 - 没年不明)は、日本の野球選手・監督。東京都出身。 早稲田中学校(現在の早稲田高等学校)から茨城県の竜ヶ崎中学校に転校し、1921年の甲子園に投手として出場(初戦で大連商に3-5で惜敗)。早稲田大学では名遊撃手として活躍した。 プロ野球選手としての経歴はないものの、指導者として長く様々なチームに関わった。早大進学後には、合宿を抜け出して母校の竜ヶ崎中学校を泊まり込みで指導し、甲子園に導いている。秋田商や中央大学の監督を経て、1938年に桝嘉一の後任として名古屋軍の監督に就任した。 しかし、当時の名古屋軍は主力が抜けた後でチーム事情が悪く、投手では西沢道夫・松尾幸造、打者では大沢清が活躍するも低迷。
武藤 完雄(むとう まさお、1898年2月27日 - 197… 武藤 完雄(むとう まさお、1898年2月27日 - 1972年6月20日)は、日本の外科医。専門は、消化器外科学。医学博士。東北大学名誉教授。 茨城県北相馬郡井野村大字青柳(現在の取手市青柳)生まれ。茨城県立龍ヶ崎中学校(現在の茨城県立竜ヶ崎第一高等学校)を経て、東北帝国大学医学部を卒業した。同医学部第一外科学教室教授として多くの門下生を育て、日本外科学会の重鎮として長く活躍した。終生のテーマは「胃癌の外科療法」であり、同大学医学部第三内科(黒川利雄教授)との公私とも綿密な連携により生涯で2000例の手術を行った。定年退官後は、福島県立医科大学学長及び宮城県成人病センター(現在の宮城県立がんセンター)院長を務めた。
市川 忍(いちかわ しのぶ、1897年1月9日 - 1973… 市川 忍(いちかわ しのぶ、1897年1月9日 - 1973年11月2日)は、日本の実業家。丸紅の初代社長。 1897年1月9日、茨城県北相馬郡布川町(現:利根町布川)に生まれる。 1919年に神戸高等商業学校(現:兵庫県立大学)を卒業し、伊藤忠商事に入社。同系列の大同貿易を経て、丸紅商店に移り、貿易部長、上海支店長を歴任。 1941年9月、丸紅と伊藤忠商事と岸本商店の合併によって設立された「三興」の専務となり、1944年9月に三興と呉羽紡績と伊藤忠商事の貿易部門として分離していた大同貿易が合併され、「大建産業」が設立された後も専務を担当した。 1949年、GHQによる過度経済力集中排除(財閥解体)の中で、丸紅初代社長に就任。
小林 政一(こばやし まさいち、1891年2月14日 - 1… 小林 政一(こばやし まさいち、1891年2月14日 - 1973年12月25日)は、日本の建築家、教育者。明治神宮外苑の建設に関わり、日本建築学会会長、千葉大学学長などを務めた。 1891年(明治24年)、茨城県稲敷郡の豪農の家に生まれる。竜ヶ崎中学校、第二高等学校を経て、1916年(大正5年)、東京帝国大学工学部建築学科卒業(高橋貞太郎、伊部貞吉、小倉強らと同年)。卒業後、大蔵省臨時建築局嘱託。 1919年、恩師佐野利器の推薦で明治神宮造営局技師(高橋貞太郎の後任)に就任、神宮外苑の施設建設(絵画館、競技場、水泳場、日本青年館など)に従事。関東大震災を乗り越え、外苑の整備に尽力する。 1926年に東京高等工業学校教授。
永田春水(ながた しゅんすい、1889年2月18日 - 19… 永田春水(ながた しゅんすい、1889年2月18日 - 1970年5月1日)は、日本画家。本名は永田良亮。 1889年(明治22年)2月18日、茨城県北相馬郡相馬町(現取手市藤代)に生れる。1907年、茨城県立龍ケ崎中学校(現 茨城県立竜ヶ崎第一高等学校・附属中学校)を卒業後、一家で上野池之端へ移る。荒木寛畝、寺崎広業、結城素明に師事。1913年に東京美術学校(現:東京藝術大学)日本画科を卒業後、国華社に入り古画研究に従事した。1920年に渡欧して仏画模写などに約1年間たずさわった。1924年の日華連合展では国賓として北京に招かれ、出品作は袁世凱中華民国大統領が買い上げた。第6回帝展出品作「花柘榴・立葵」はフィラデルフィア万博に出品され、同地美術館に収蔵。
豊嶋 真千子 は、日本の声優、ナレーター、舞台女優、歌手。茨… 豊嶋 真千子 は、日本の声優、ナレーター、舞台女優、歌手。茨城県取手市出身。青二プロダクション所属。