紀藤 閑之介(きとう かんのすけ、1869年12月9日〈明治2年11月7日〉 - 1961年〈昭和36年〉9月28日)は、日本の政治家、実業家、名望家、資産家、地主・家主、山口県多額納税者。第3・6代山口県宇部市長。族籍は山口県士族。 宇部村長、宇部銀行の頭取、宇部共同義会会長等を務めた紀藤織文は、閑之介の叔父にあたり、織文の孫にあたるのが弁護士の紀藤正樹。 閑之介は1869年(明治2年)11月7日、長州藩主毛利氏の永代家老福原氏の家臣である紀藤宗介(後の宇部共同義会初代会長)の長男として長門国厚狭郡川上村(現山口県宇部市)に生まれた。 第三高等中学校(現:京都大学)を卒業した後、宇部村に戻った閑之介は「村内の情報を村民に伝えることが村人の民度を向上させ、ひいては国の繁栄に通じる」と考え、1912年(明治45年)、宇部時報(現:宇部日報)を発刊した。
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