堤 隆(つつみ のぼる、1890年(明治23年)5月20日 - 1947年(昭和22年)2月22日)は、大正から昭和前期の教育者、政治家。衆議院議員。旧姓・黒川。 滋賀県神崎郡、のちの永源寺町甲津畑(現・東近江市甲津畑町)で、浄土真宗大谷派浄源寺住職・黒川霊瑞、マサノの三男(兄2人妹2人)として生まれた。甲津畑尋常高等小学校、滋賀師範学校を経て、1914年(大正3年)広島高等師範学校を卒業し、さらに1917年(大正6年)京都帝国大学文科大学哲学科を卒業した。京大入学の際に、滋賀県長浜の医師・堤泰造、コトの末娘(兄2人姉2人)千代と結婚し婿養子となる。養母コトは父方の伯母で、千代は従姉妹である。 小学校訓導を務めた後、1918年(大正7年)2月、新洋丸でハワイに渡航し在ヒロ市日本人ハイスクール校長に就任した。
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