富野 暉一郎(とみの きいちろう、1944年〈昭和19年〉2月2日 - )は、日本の社会運動家、福知山公立大学副学長、龍谷大学名誉教授。元逗子市長。専門は地方自治。 在日米軍施設である池子弾薬庫跡地への住宅建設に反対する住民運動に推されて、1984年に市長となった。1992年に次期市長選への不出馬を表明して退任し、その後は、島根大学教授、龍谷大学教授を歴任した。 1944年、当時は横須賀市の一部となっていた神奈川県逗子の旧家に長男として生まれる。小学生の頃から天文学を志し、京都大学理学部宇宙物理学科へ進み、1966年に卒業して、さらに東京大学大学院理学系研究科で天文学を専攻したが、1973年には博士課程中退に至った。
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