花田 比露思(はなだ ひろし、1882年3月11日 - 1967年7月26日)は、日本の教育者・歌人。 福岡県朝倉郡安川村(現・朝倉市)に生まれる。本名・大五郎。京都帝国大学法学部を卒業し、大阪朝日新聞記者となる。調査部長兼論説委員として寺内内閣に批判的な論調を張るも、1918年米騒動にからんだ白虹事件で連帯責任を取って辞職する。 大阪朝日退職後は大正日日新聞、読売新聞などに勤めた。1924年に京都帝大に招かれ、学生監となる。 その後は和歌山高等商業学校(現・和歌山大学)校長、福岡商科大学初代学長、別府大学長、大分大学長を務めた。大分大学名誉教授となる。 歌人としては、正岡子規に傾倒し,歌誌『潮騒』(のち改題し『あけび』)を創刊・主宰した。
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