有名人ナビ トップページ
人物データベース×観光資源
浅

浅野八郎 (財閥)

あさの はちろう
Wiki ↗

浅野 八郎(あさの はちろう、1891年(明治24年)8月 - 1966年(昭和41年)1月8日)は、日本の実業家。浅野財閥の創始者・浅野総一郎の三男で、同財閥の多数の系列会社重役を同時に務めた。 慶應義塾普通部を経て1917年(大正6年)に慶應義塾大学部理財科を卒業し、浅野造船所に勤務した。1923年(大正12年)に造船業・製鉄業視察で欧米を訪れた。1926年 (昭和元年) には電力事業視察で欧米を訪問した。 浅野カーリット(日本カーリット)社長、関東水力電気(佐久発電所)副社長、関東証券代表取締役、浅野セメント(太平洋セメント)常務取締役、浅野物産(丸紅)・鶴見製鉄造船(JFE、ジャパンマリンユナイテッド)・関東運輸(日の出興業)・日之出汽船(NYKバルク・プロジェクト)・鶴見木工・庄川水力電気(小牧ダム)・五日市鉄道(JR五日市線)・小倉築港(小倉興産)・上毛電力の取締役、浅野石材工業・日本ヒューム管(日本ヒューム)・信越木材・日本鋳造・南武鉄道(JR南武線)・小倉製鋼(日本製鉄)の監査役を務めた。

出典:ウィキペディア「浅野八郎 (財閥)」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋