坂本 紅蓮洞(さかもと ぐれんどう、1866年(慶応2年)9月?日 - 1925年(大正14年)12月16日)は、明治・大正期の文芸評論家、新聞記者、放浪生活者。本名は易徳。肩書きは「奇人」。のらりくらりと放浪生活に身をやつし、酒に酔っては毒舌を弄し、窮乏のうちに死んだ「文壇名物男」であった。 武蔵国江戸生まれ。旧小田原藩士の家系に生まれる。 慶應義塾に学ぶ。同期に福澤桃介がいた。明治21年(1888年)、部理財科[要校閲]を優秀な成績で卒業、その後、明治23年(1890年)に大学部の創設を期に文学科に入るが、女義太夫の竹本綾之助に夢中になり、勉学を疎かにしたために落第。立教中学の代用教員を務めるなど、「数学の天才」ぶりを発揮し色々な学校で教えるが、その授業が苛烈だったため数々の学校を追われ、新聞記者に転向。
出典:ウィキペディア「坂本紅蓮洞」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
