田中 長一郎(たなか ちょういちろう、1881年 - 1969年)は、日本近代製鉄の礎を築いた二代目・田中長兵衛の長男。父を補佐し家業である製鉄・鉱山業を支えた。 東京は京橋区にて二代目長兵衛と母・よきの間に長男として生まれる。弟・長五郎(1883年生)あり。1896年(明治29年)4月に慶應義塾入社、幼稚舎を経て大学部に進む。1つ年上の従兄弟・横山長次郎と共に1901年(明治34年)の慶應大学庭球部創立メンバーの一人となり、同年秋に一橋大学と行った対抗戦にも出場。学業よりも実地を重んずる厳格な祖父(初代長兵衛)の方針に従い慶應義塾を退学すると、1907年(明治40年)頃から佐渡や生野、足尾、別子など全国の鉱山を視察して回った。
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