林 毅陸(はやし きろく、1872年6月6日(明治5年5月1日) - 1950年(昭和25年)12月17日)は、明治後期から戦前昭和期の歴史家、法学者(法学博士)、政治家。枢密顧問官、衆議院議員、帝国学士院会員、慶應義塾長、初代愛知大学学長等を歴任。号は弘堂。 位階勲等は正四位勲三等旭日中綬章。日本の外交史研究の先駆者として知られている。 佐賀県松浦郡田野村(現在の唐津市肥前町田野)に、豪族・中村清七郎の四男として生まれる。幼名は中村毅陸。母は唐津藩士・浦川喜右衛門の次女。 10歳の頃、中江兆民の門下であり、『仏和辞書』を同盟出版から出版し、東京府で仏学の私塾を開いていた実兄・中村秀穂が帰省の際に伴われて上京。
出典:ウィキペディア「林毅陸」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
