尹 致旿(ユン・チオ、朝鮮語: 윤치오、1869年9月10日 - 1950年12月22日)は、韓国(大韓帝国及び日本統治時代の朝鮮)の教育者、官僚。号は子亨、字は東庵。日本名は伊東致旿。 牙山生まれ。尹英烈の9男3女のうちの長男。5歳から四書三経のような漢文学を学び、神童と呼ばれた。祖父の尹取東と学んでいたが開化の潮流が起こり、取東は致旿に学者になるよう勧め、早婚(年少期の婚約)後に高僧の多い表訓寺に入り、仏典と有学を修める。以後、3年はそれに専念した。最初の妻は金潤晶の娘。 開化の道へ入ることを決め、推薦で1894年議政府主事。同年甲申政変で親族の尹雄烈、尹致昊が開化派として関与したことで致旿も開化派とされたため日本へ亡命。
出典:ウィキペディア「尹致旿」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
