上野 勘助(うえの かんすけ、1866年7月13日(慶応2年6月2日) – 1914年(大正3年)1月20日)は、明治から大正初期の農業経営者、政治家。衆議院議員。 紀伊国那賀郡、のちの和歌山県那賀郡上岩出村(岩出町を経て現岩出市)で、大庄屋を務める家に生まれた。1887年(明治20年)慶應義塾別科を卒業し、1898年(明治31年)東京法学院(現中央大学)を卒業した。 1898年(明治31年)3月、第5回衆議院議員総選挙で和歌山県第2区から自由党所属で出馬して当選し、衆議院議員を1期務めた。 その後、北海道開拓を志し、幌向原野(現岩見沢市)に入植して農場を営んだ。1910年(明治43年)と1913年(大正2年)に空知支庁管内から北海道会議員に選出された。
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