加藤 正二(かとう しょうじ、1914年3月3日 - 1958年8月17日)は、香川県出身のプロ野球選手(投手、内野手、外野手)、大学野球指導者。実弟の稲垣定雄も元プロ野球選手。 旧制高松商業学校時代に甲子園大会に2度出場。中央大学では首位打者を4度獲得。1937年秋に記録した打率.577(26打数15安打)は現在でも東都大学野球連盟記録になっている。 1939年に名古屋軍に入団。1940年に入営するが、復帰した1943年に4本塁打で本塁打王を獲得。1948年に球団代表の赤嶺昌志が辞任に追い込まれると、後を追って、小鶴誠らと共に退団し、永田雅一が結成した大映球団に所属し大映球団が東急フライヤーズに合流する形で急映フライヤーズに移籍した。
出典:ウィキペディア「加藤正二 (野球)」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
