中嶋 忠三郎(なかじま ちゅうざぶろう、1900年〈明治33年〉9月4日 - 1998年〈平成10年〉1月18日)は、日本の判事、外交官、西武鉄道重役。 群馬県碓氷郡岩野谷村岩井(現・安中市岩井)に、名望家・中嶋利平の四男として生まれる。父方の親戚には衆議院議員・須藤嘉吉がおり、母方の従兄にヤマタネ創業者・山崎種二がいる。陸軍幼年学校への進学を希望したが父に反対され、小学校高等科から東京の日本中学校に編入する。脚気により同校を休学後、目白中学校の編入試験を受け合格。目白中学校を卒業し、中央大学法科に学ぶ。1925年に中央大学法科を卒業し、同年高等文官試験司法科に合格。この年入営し、1927年司法官試補として採用された。
出典:ウィキペディア「中嶋忠三郎」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
