赤堀 又次郎(あかほり またじろう、1866年10月18日〈慶応2年9月10日〉 - 1945年〈昭和20年〉)は、日本の国学者、国語学者、書誌学者、図書館学者。 明治10年代初頭の東京大学文学部は、洋学尊重の時代的風潮に影響されて和漢文学を専攻する学生は乏しかった。これを憂えた小中村清矩の献策に基づいて、文学部に古典講習科が付設された。赤堀はここに入学し、修業年限3年の後に卒業した。本科に比してこの科に学ぶものが多く、落合直文らの実力を有する学者が輩出して、古典研究の発展に寄与するものが少なくなかった。 1888年(明治21年)創立の私立言語取調所(会長伊達宗城)で、のちに『国語学書目解題』として出版される書籍の編纂に、林 美、落合直澄、逸見仲三郎とともに着手したが出版に至らず、1890年(明治23年)10月9日に取調所の図書、器具、金員の帝国大学への寄付が願い出られて許されたときに、この初稿も含まれていた。
出典:ウィキペディア「赤堀又次郎」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
