雨宮 量七郎(あまみや りょうしちろう、明治7年(1874年)2月26日 - 昭和40年(1965年)2月)は、大日本帝国の海軍軍人。最終階級は海軍軍医中将。呉病院長、海軍医学校校長、海軍省医務局長を歴任する。埼玉県出身。 明治7年(1874年)2月26日、雨宮春潭の三男として出生する。明治33年、東京帝国大学医学部を卒業し、東京海軍軍令部に所属する。その後、海軍造幣廠、海軍軍医学校へ入校し卒業を経て、呉海軍病院第二部長となる。この後、海軍軍医学校教官、同校教頭となり、艦政本部技術会議員、佐世保鎮守府軍医長、呉海軍病院長を経て、大正13年(1924年)12月1日、海軍医学校校長となる。 翌年、大正14年(1925年)12月1日に海軍中将に昇進し、海軍省医務局長に就任。
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