石川 純一郎(いしかわ じゅんいちろう、1897年〈明治30年〉 - 1987年〈昭和62年〉)は、日本の建築家。1930年代から1940年代にかけて竹中工務店の看板建築家として活躍し、モダニスト建築家として朝日新聞社の社屋を多数手がけた。 東京帝国大学を卒業し、同期の蒲原重雄、吉田宏彦、土浦亀城、岸田日出刀らと建築家グループ「ラトウ」(ラトー建築会とも表記)を結成。1927年(昭和2年)、竹中工務店に入社。1930年(昭和5年)、竹中工務店設計部の命により鷲尾九郎とともにシベリア鉄道で欧州各地に向かい、鷲尾は劇場と病院、石川はオフィスビルをテーマに建築動向を視察した。1946年(昭和21)より同社設計部長に就任。
出典:ウィキペディア「石川純一郎 (建築家)」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
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