小山 倉之助(おやま くらのすけ、1884年(明治17年)3月21日 - 1956年(昭和31年)8月3日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(6期)。 宮城県本吉郡気仙沼本郷(後の気仙沼町、現気仙沼市)で、小山長兵衛の二男として生まれる。1909年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。 その後、九州林業取締役、樺太合同産業取締役、日本セメント取締役、帝国地方行政学会取締役、日本エタニットパイプ取締役、(株)行政学会印刷所社長などを務めた。 1928年2月、第16回衆議院議員総選挙で宮城県第二区から出馬して当選。以後、第17回、第19回、第20回総選挙で当選。1942年4月の第21回総選挙では翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選した。
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