木村 久寿弥太(きむら くすやた、1866年1月18日(慶応元年12月2日) - 1935年(昭和10年)11月23日)は、日本の実業家。三菱財閥の総理大臣と言われた。 土佐国土佐郡石立村(現・高知県高知市内)の出身。土佐藩の下級武士である田岡亨一の二男に生まれる。もともとは農民の出だが、祖父の代に家老の家に出仕し、武士の身分を得た。藩校の致道館教授も務めた叔父の養子となり、木村家を継ぐ。16歳の時に叔父が大阪で役人になると大阪へ出て、のちに模範中学と改称された専門学校に通い、19歳の時に東京へ出て、大学予備門を経て、帝国大学法科大学政治科へ入学する。学生時代に桐島像一が監督していた岩崎弥之助の息子と一緒に熱海の別荘に避寒すると、豊川良平から岩崎小弥太の監督を頼まれ、卒業まで三菱の寄宿舎から大学へ通った。
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