佐藤 朝生(さとう ともお、1907年〈明治40年〉5月14日 - 1999年〈平成11年〉 12月4日)は、日本の内務官僚。人事院事務総長(初代)、総理府総務副長官。位階は正三位。 大正13年(1924年)旧制府立一中4年修了、昭和2年(1927年)旧制第一高等学校、昭和5年(1930年)東京帝国大学法学部政治学科卒業後、内務省へ入省。昭和11年(1936年)内閣書記官、昭和13年(1938年)内閣官房会計課長、昭和20年(1945年)内閣官房総務課長に就任する。 鈴木貫太郎内閣では迫水久常内閣書記官長の下で終戦事務に関わる。ポツダム宣言後の8月1日に、内閣情報局総裁の下村宏が、久富達夫次長から「終戦するには、陛下に自らマイクの前に立って放送していただく。
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