舘(館) 稔(たち みのる、1906年(明治39年)11月11日 - 1972年(昭和47年)3月21日)は、日本の人口学者。1939年(昭和14年)東京帝国大学卒業。厚生省(現厚生労働省)人口問題研究所に入所。1959年(昭和34年)所長(第二代)に就任。国際連合人口委員会委員、国際人口学会、国際統計協会などの役員を務めた。 1950年代から、「ベビーブームからベビーデフレへ」との表現で日本の少子化問題を指摘していた。ベビーブームが1950年に鎮火したこと、さらに結婚年齢の変化や出産年齢層の変化などから出生率の低下傾向が続き、出生減退が起きることを予測した。 当時は日本を含め、世界的には発展途上国の人口爆発と資源の有限性の観点から「人口抑制」「出生抑制」の必要性のほうが強調されており、少子化が社会問題としてマスメディア等で指摘されるようになったのは、1989年に日本の合計特殊出生率が1.57を下回り「1.57ショック」を迎えてからのことである。
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