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為

為成養之助

ためなり ようのすけ
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為成 養之助(ためなり ようのすけ、1904年(明治37年)4月16日 - 1995年(平成7年))は日本の裁判官、弁護士。 大分県西国東郡高田町(現豊後高田市)出身。1927年(昭和2年)3月東京帝国大学法学部法律学科卒業、同年12月高等試験司法科合格、1928年(昭和3年)4月司法官試験合格、司法官試補、1930年(昭和5年)12月予備判事、1932年(昭和7年)長崎地方裁判所転任で判事任官、1933年(昭和8年)2月まで同地裁民事部判事。 為成は任官後すぐに革新政党の集会に行き、それは警察官に中止だと叫ばれ散会させられたが、自らは警官に頭を殴られ警察署に留置された。1930年夏、試補だったときに同じく判事の尾崎陞や日本共産党党員と交流して赤化、滝内礼作と研究会を結成、毎月1円か2円から10円、7円から10円、10円から12円の資金提供をして完全に赤化、長崎に転任してからは日本労働組合全国協議会(全協)加入や地裁職員を中心とする全日本無産者芸術家連盟(ナップ)関係の文化グループを結成、『赤旗』を持ち込んだりして共産党の党勢拡大を図った。

出典:ウィキペディア「為成養之助」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋