高山 忠雄(たかやま ただお、1904年6月24日 - 1980年7月1日)は、東京都出身のサッカー選手、教育者。 東京都生まれ。御影師範附属小時代にサッカーを覚え、兵庫県立第一神戸中学校(神戸一中、現:兵庫県立神戸高等学校)時代には第1回日本フートボール優勝大会(1918年)に出場した。白洲次郎は神戸一中サッカー部の1年先輩に当たる。 1921年に神戸一中を卒業。第八高等学校を経て、東京帝国大学文学部に入学し、快足のフォワードとして活躍。1927年10月に開催された第4回明治神宮競技大会兼ア式蹴球全國優勝競技會(第7回天皇杯全日本サッカー選手権大会)に神戸一中および東京帝大の後輩にあたる若林竹雄らと共に神戸一中クラブのメンバーとして出場して大会優勝に貢献した。
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