鶴見 清彦(つるみ きよひこ 1917年3月11日 - 1976年11月17日)は、日本の官僚、外交官。 1940年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業後、外務省へ入省。外務省在外研究員としてアメリカ合衆国に渡るも、1941年に日米関係が悪化。同年11月に引き揚げ船として派遣された氷川丸に乗船して帰国した。1942年からタイ国に勤務し終戦を迎える。戦後は終戦連絡中央事務局に勤務し、1951年に在ワシントン在外事務所勤務。1953年に外務省アジア局五課長、1955年にジャカルタ領事となる。1951年、バンドン会議に出席。 その後は駐米公使、外務省経済局次長、外務省経済局長、経済協力開発機構日本代表部大使、外務審議官などを務めた。
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