中川 吉造(なかがわ よしぞう、1871年5月24日(明治4年4月6日) - 1942年(昭和17年)8月1日)は、明治から昭和時代の土木技術者、内務技監。 中川吉太郎の弟として大和国葛下郡高田村(現・奈良県大和高田市)に生まれ、1913年(大正2年)分家する。1896年(明治29年)東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業後、内務省に入省し、第1区土木監督署附となり、利根川改修の調査に当たる。 1897年(明治30年)土木監督署技師に転じ、翌年、関宿工営所主任として利根川治水工事に関与。1905年(明治38年)内務技師に進み、東京土木出張所技師となる。1910年(明治43年)から一年間、渡欧し、ドナウ川の鉄門などを視察。
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