長崎 浩(ながさき ひろし、1937年5月8日- )は、日本の社会評論家、身体運動学者。元の妻は東大名誉教授の長崎暢子。 東京生まれ。東京大学理学部卒、同大学院修士課程を経て、東京大学物性研究所、東北大学医学部リハビリテーション医学研究施設、東京都老人総合研究所勤務。1986年東北大学医学博士。1999年から東北文化学園大学医療福祉学部教授。2009年退職。 学生時代は1960年安保運動に参加し第一次共産主義者同盟で活動した。全共闘運動には助手共闘の一員として参加する。その後も左翼活動家として著述活動を続けた。 成田空港問題において、成田開港翌年の1979年に三里塚芝山連合空港反対同盟の幹部が政府と締結した覚書(その後情報漏洩により協定は流産となった)の文案は、長崎が書いたものだといわれる。
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