野呂 景義(のろ かげよし、1858年 - 1923年)は愛知県出身の冶金学者。東京帝国大学の教授として多くの後進を育て、日本近代製鉄の礎を築いた田中製鉄所や八幡製鉄所に技術指導を行う。日本鉄鋼協会の初代会長も務め「日本の冶金学の父」と呼ばれる。 旧尾張藩士、野呂伊三郎の二男。1858年(安政5年)に後の名古屋市橦木町で生まれる。1874年(明治7年)に愛知英語学校へ入り、1877年(明治10年)上京し開成学校予科を経て1882年(明治15年)帝国大学理学部採鉱冶金学科を卒業。卒業後直ちに母校の助教授に任ぜられ、ドイツ人の採鉱冶金教授のクルト・ネットーの下で学生を指導する傍ら冶金学の研究を続けた。
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