橋爪 捨三郎(はしづめ すてさぶろう、1867年11月29日(慶応3年11月4日)- 1930年(昭和5年)9月15日)は、日本の実業家である。 陸奥国会津郡若松城郭内(現会津若松市)で、会津藩士・橋爪清助の三男として生まれる。帝国大学(現在の東京大学)法科大学政治学科を卒業後、三井物産に入社しその後転々と多くの企業に転勤する。後に上海紡績に転勤するが、同会社の合併により鐘淵紡績(後のカネボウ、現在のクラシエホールディングス)に移った。 これにより同会社の副支配人を経て支配人としての職にあたり、1918年(大正7年)に取締役として就任した。1927年(昭和2年)には常務取締役に昇格し、同年副社長に就任する。
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