宮原 武熊(みやはら たけくま、1874年(明治7年)12月13日 - 没年不明)は鹿児島県出身の医学者、眼科医で、日本統治時代の台湾における政治家。台湾台中市のスイーツ専門店「宮原眼科(日出宮原眼科)」の由来として知られている。 鹿児島県川辺郡知覧村(現・南九州市)で出生。 同年退官し、東京で眼科開業。その後台湾に再渡航し、1927年(昭和2)に民間開業医として台中州台中市栄町に宮原眼科医院を開業。 1933年(昭和8)12月29日に陳炘および台湾文化協会や台湾民衆党を率いていた林献堂らとともに台湾人による台湾自治を目指す『東亜共栄協会』を設立し、一時は1万人超の会員数となったが、次第に日本の右翼団体の圧力で劣勢となり、1936年に解散に追い込まれている。
出典:ウィキペディア「宮原武熊」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
