柳沢 光治(柳澤、やなぎさわ みつはる、1891年(明治24年)6月22日 - 1957年(昭和32年)11月7日)は、大正から昭和期の技術者、政治家、華族。貴族院子爵議員。 旧黒川藩主、子爵・柳沢光邦の三男として生まれる。父の死去に伴い、1923年(大正12年)12月20日、子爵を襲爵した。 1915年(大正4年)7月、東京帝国大学工科大学応用化学科を卒業。同年、日本醋酸製造技手となる。以後、同技術部主任、東京府工業技師、同産業技師、同商工技師、府立東京商工奨励館委員、同化学部主任などを務めた。 1939年(昭和14年)11月4日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
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