米沢 与三七(よねざわ よそしち、1879年(明治12年)8月1日 - 1966年(昭和41年)5月9日)は、大正から昭和時代の電気工学者、通信技術者。子に電電公社総裁を務めた米沢滋がいる。 富山県に生まれる。1906年(明治39年)東京帝国大学電気工学科卒業後、逓信省に入り、通信技手、同技師、名古屋郵便局電話課長、鹿児島郵便局工務課長などを経て、1920年(大正9年)逓信省臨時電話局第3課長、工務局電話課長、工務局長となる。この間欧米留学、1932年(昭和7年)にはマドリードの万国無線会議に政府代表委員として出席した。1934年(昭和9年)退官すると、日本放送協会理事、技術局長、電波技術協会会長などを歴任した。
出典:ウィキペディア「米沢与三七」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
