田中 恭吉(たなか きょうきち、明治25年(1892年)4月9日 - 大正4年(1915年)10月23日)は、和歌山県和歌山市出身の文人・芸術家。特に版画家としてよく知られている。 明治25年(1892年)、現在の和歌山市に生まれた。明治43年(1910年)に和歌山県立徳義中学校(後に和歌山中学校と統合)を卒業すると上京し、約1年間、白馬会原町洋画研究所に通う間に恩地孝四郎と知り合った。翌年に東京美術学校の彫刻科に入学すると、藤森静雄、大槻憲二、土岡泉、竹久夢二、香山小鳥などと交流を深める中で独自の表現を模索。初めて木版画を制作したのは大正2年(1913年)12月頃だと考えられている。藤森や大槻、土岡などと同人雑誌「ホクト」を手掛けたり、雑誌「少年界」や「少女界」に寄稿したり、回覧雑誌「密室」にペン画や、自刻による木版画いわゆる創作版画を発表するなど、美術と文芸の両方で才能を発揮した。
出典:ウィキペディア「田中恭吉」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
