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田

田中銀之助 (作曲家)

たなか ぎんのすけ
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田中 銀之助(たなか ぎんのすけ、1880年(明治13年)5月18日 - 1947年(昭和22年)2月1日)は、大正、昭和と全国の高等女学校で採用される楽曲、現在でも歌い継がれている童謡唱歌、多くの校歌を作曲など、兵庫県を代表する作曲家。 養父郡大蔵村(現:朝来市)の雑貨商「やまとや」の長男として生まれ、大蔵小学校高等科を卒業後、同小学校の教員などをしていたが、後に退職して1902年(明治35年)、東京音楽学校(現在の東京藝術大学)師範科へ入学した。 音楽学校を卒業した1905年(明治38年)に音楽教員として兵庫県立神戸高等女学校(現:神戸高校)に着任し、その後33年勤務した。当時、神戸高等女学校は開校4年目の学校(現在の兵庫県庁1号館の場所にあった)であり、田中は生徒への指導はもちろん、音楽教育や社会音楽の向上も常々考えていたが、生徒たちにとって発表の場となり、一般市民に音楽に親しんでもらえる場にもなる発表会を企画した。

出典:ウィキペディア「田中銀之助 (作曲家)」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋