弘中 又一(ひろなか またいち、1873年 - 1938年8月6日)は、山口県出身の教育家である。 都濃郡湯野村(現在の周南市)出身。勉強ができて、優秀だったため、独学だけでなく、山口市の私塾で漢文・英語・数学を学んだ[要出典]。 1890年(明治23年)同志社普通学校(現在の同志社大学)に入学。在学中の1893年(明治26年)に17歳のタカと結婚、同年、出身地の柳井小学校高等科の英語代用教員になる。1894年同志社大学を卒業。翌1895年(明治28年)に数学教師として、愛媛県の松山中学校(現在の愛媛県立松山東高等学校)に赴任する。そこで当時英語教師を務めていた夏目漱石と出会い、1年間同僚として過ごす。
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