松田 道(まつだ みち、慶応4年9月7日(1868年10月22日) - 1956年(昭和31年)1月15日)は、丹後国中郡峰山(現在の京都府京丹後市峰山町)出身の、明治期から昭和前期の女子教育者。女性として初めて、同志社女子専門学校(現在の同志社女子大学)の校長を務めた。 松田道は、1868年(慶応4年9月7日)、丹後国中郡峰山(現在の京都府京丹後市峰山町室)にて、松田甚八の次女として誕生した。生家は旧峰山藩主の屋敷跡にあったという。時の京都府知事・槇村は学業をよく奨励したので、松田道の父母もこれに倣い、子ども達を学校に通わせるのを好んだ。 創立当時の峰山小学校在学中は冬は藁靴を履いて通い、習字を習いに自宅を訪ねても面倒がらずに面白い話をしてくれた壮年の「高木先生」と、その近所に住み、積雪の日などは自ら背に負って自宅まで送り届けてくれた若い「柴崎先生」のことは晩年まで忘れることはなかった。
出典:ウィキペディア「松田道」(CC BY-SA 4.0)を一部抜粋
