辛 鳳祚(シン・ボンジョ、신봉조、創氏名:辛島 純、1900年8月20日 - 1992年12月27日)は、日本統治時代の朝鮮で活動した大韓民国の教育者。号は和巖(ファアム、화암)。 本貫は霊山辛氏で、江原道旌善郡に生まれた。1919年に培材高等普通学校(朝鮮語版)を卒業したが、在学中に起きた三・一運動に関わり、懲役6ヶ月を宣告された。1920年には、朝鮮エスペラント協会(朝鮮語版)の設立に参加した。1924年に延禧專門学校(朝鮮語版)文科を卒業した。後に日本に留学し、1927年に東北帝国大学法文学部に、特別入学扱いで入学し、1930年に卒業して文学士となった。 延禧專門学校を卒業した後、母校である培材高等普通学校に教師としてしばらく勤務した際に、女子教育に関心をもち、以後生涯を女性の中等教育に捧げた。
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