陳 群(ちん ぐん、1890年〈光緒16年〉 - 1945年〈民国34年〉8月17日)は、中華民国の政治家。字は人鶴。孫文ら革命派や南方政府(護法軍政府)に与し、後に中国国民党や国民政府で活動した。日中戦争期には、中華民国維新政府や南京国民政府の要職を歴任した。 日本へ留学して、明治大学で法学士、東洋大学で文学士の称号をそれぞれ取得した。孫文が護法運動を開始すると、1917年(民国6年)9月、陳群は広州の大元帥府秘書に就任した。1923年(民国12年)5月、大元帥府宣伝委員となる。後に大本営中国国民党党務準備委員に就任した。 孫文死後の1926年(民国15年)以後は、国民党上海政治分会委員、国民革命軍東路総指揮部政治部主任、上海警備総司令部軍法処処長、国民党宣伝部駐滬弁事処主任、第26軍政治部主任、上海法政学院総務長などを歴任した。
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